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合唱団紹介

昭和53年(1978年)発足。岡崎市民をはじめ近隣市町民で合唱好きの人や音楽に興味をもった人が

集まった、オープンな混声合唱団です。

 ・団員人数 ・・・・・・・ 約60人

 ・活動場所 ・・・・・・・ 愛知県岡崎市

 ・活動内容 ・・・・・・・   1. 合唱練習・演奏会

                2. 合唱技術の向上に関すること

                3. 団員の親睦に関すること

                4. その他、本団の目的達成に必要な事業

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コラム165「卒業歌」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

・なかばより俄(にわか)に寂し卒業歌     (東京都足立区)望月 清彦

卒業式に出席して卒業生が歌う「仰げば尊し」を聴いている。

歌はa・b・cの4つの部分(小楽節)からなる。それぞれが起・承・転・結をなす。

この中で、なかばより、つまりb(転)の部分で急に寂しくなるという。

歌詞で言うと「思えばいと疾()し この年月」の部分。

起・承でいったん収まった後、下属和音で一気に盛り上がる部分である。

曲が盛り上がるとともに寂しさがこみあげてくるのだ。

・「仰げば尊し」…アメリカで出版された『The Song Echo: A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces,

Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle.』という楽譜集に収録されているのが初出と見られている。

Wikipediaによる。)

作曲者は「HND」とあるが、どういう人物かは不明である。

日本語の歌詞は文部省音楽取調係の係官たちの合議で作られたと言われている。

卒業式でこの曲をきちんとハーモニーを付けて(合唱で)歌う学校もある。

 今日の朝日俳壇には次の俳句も載っていた

・それからはぶらんこばかり漕いでます    (長崎市)里中 和子

「それから」で、何があったのか、「漕いでます」は誰に対して言っているのか、いろいろ想像させる句である。

告白されたのか、失恋したのか、大切な人が遠ざかったのか、死別したのか。

ブランコは「ふらここ」、鞦韆(しゅうせん)ともいう、春の季語である。

春の明るさを感じるか、春の寂しさ・春の憂いを感じるかによって、この句の読み方が変わってくる。

 私は小学一年生のとき、学芸会で全校生徒の前で「ぶらんこ」という歌を独唱したことがある。

「あおいおそらに しろいくも ゆれるブランコ うれしいな

 うらのおにわの まつの木に ゆれるブランコ うれしいな」

作曲者も作詞者も、調べてみても不明である。

学芸会のあと、近所の女の子が、

「〇〇くん(私の名前)ブランコこぐのじょうずだね」

と何度もからんできたことを思い出す。

            (2024.4.14

コラム164「春のコーラス」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていた。

・一斉に楽譜をめくるコーラス隊春がそこからパッと始まる     (富山市)松田 わこ

コーラス隊が歌っているのを聴いているのか、あるいは一緒に歌っているのかもしれない。

同じ楽譜で同じ曲の同じ箇所を歌っているのだから、めくるのも一斉にということになる。

それがそろったことで歌っているみんなの気持ちが一つになった気がする。そこから春が始まる気がする。

歌っている曲は明るい春の歌だろう。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・木下牧子作曲 同声合唱曲集「地平線のかなたへ」より「春に」(詩・谷川俊太郎)。

「この気持ちは何だろう」というフレーズが何度も出てきて、春に高まる気持ちを歌い上げる。

「枝の先のふくらんだ新芽が 心をつつく…」から、喜び、悲しみ、いらだち、やすらぎと、あふれ出るさまざまな気持ちを歌う。

最後に、「声にならない叫びとなって こみあげる この気持ちは何だろう」と結ぶ。完成された合唱曲である。

混声三部合唱としてもよく歌われる。

               (2024.4.7

コラム163「旅」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

・人生は旅逃水を追ふごとし      (長野市)縣 展子

人生はしばしば旅に喩えられる。そして、逃げ水を追うようだという。

逃げ水は一種の蜃気楼で、地面が熱せられて地表付近の空気が膨張して屈折率が小さくなり、

青空が屈折して見えることにより、地面に水があるように見える現象。近づくと水が遠ざかるように見える。

俳句では春の季語である。

人生の旅でも、目標にたどり着いたと思えばまた先に目標が見えてくる。まさに果てしない旅である。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・佐藤眞作曲 混声合唱のための組曲「旅」(詩・山之井慎・田中清光)。

「かごかき」のところで述べたように、混声合唱組曲の定番で、多くの合唱団で愛唱されてきた。

はじめと曲間に朗読が入っていて、組曲全体が一続きで進行する。

第1曲「旅立つ日」で、

「行け 旅に 今こそ! 憧れに になわれて…」

と歌いだし、最後の第7曲「行こう ふたたび」で、

「行こう 美しい旅に 行こう

 行け 旅に 今こそ! 憧れに になわれて…」

と歌って終わる。

人生はまさに果てしない旅である。

               (2024.3.31

コラム162「伸びよ」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

・苗札に鏡文字あり伸びよ伸びよ      (宮崎市)山野 楓子

鏡文字というのは、上下は変わらず、左右が逆になった文字のこと。

苗札に幼い子供が書いた文字が鏡文字になっている。

(チューリップのことを「さうりつぷ」と書いてあったりする。)

そのかわいさに思わずほほえんでしまった作者。

「伸びよ伸びよ」は苗への呼びかけであると同時に幼い子供への呼びかけでもある。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・荻久保和明作曲 混声合唱組曲「季節へのまなざし」より「のびる」(詩・伊藤海彦)。

この組曲はNHKの委嘱による昭和53年度芸術祭参加作品。

「ひらく」「のびる」「みのる」「ゆめみる」の4曲からなる。

激しく、現代的なタッチで書かれた意欲的な作品。

「のびる」はその第2曲目。

出だしのピアノは大地の律動のようだ。

合唱が加わり次第に高まっていく。

「陽ざし はじけ 草の穂はのび 蔓はのび

 陽ざし はじけ 樹液はのぼる

 葉をかさね 枝をのばし それはのびる それはのびる 青い彼方…」

男声合唱や女声合唱を挟み強いビートが刻まれてゆく。

若々しさが伸び、広がってゆく。

「ビートルズ以降」の感覚を意識したという作曲者の、意欲のほとばしる名曲。

               (2024.3.24

コラム161「妹逝く」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

・妹逝く空は近くて春茜         (さいたま市)森田 光子

妹を失った悲しみに浸っている。妹が行ってしまった空の上の世界が思いのほか近しいもののように感じられる。

空は美しい春の茜色。もう少し悲しみに浸っていよう。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・鈴木憲夫作曲 混声合唱曲「永訣の朝」(詩・宮沢賢治)。

宮沢賢治が妹・とし子を失った強い悲しみを歌う。

ピアノ伴奏のついた15分近くの混声合唱曲で、

「あめゆじゅとてちてけんじゃ」のリフレインがさびしく響く。

妹ではないが、関連して、思い浮かぶ曲として、

・清水脩作曲「智恵子抄巻末のうた六首」(詩・高村光太郎)がある。

高村光太郎が妻・智恵子を失った悲しみを歌った詩集「智恵子抄」の巻末に載った6つの短歌に作曲した一続きの無伴奏の合唱曲。

男声合唱の名曲である。混声版もよく歌われる。

「光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所(ここ)に住みにき」という絶唱が聴き手に迫って来る。

                (2024.3.17

コラム160「どじょっこふなっこ」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていた。

・ラジオからどじょっこふなっこの唄流れ朝の厨に菜花を洗う    (町田市)山田 道子

朝の台所で炊事をしていると、ラジオから「どじょっこふなっこ」の歌が聞こえてきた。

「春になればしがこ(すがこ)もとけて…」と、春の訪れを待ち望む歌だ。

そういえば、今洗っている菜の花は鮮やかな黄色で、まさしく春の訪れを告げる花だ。

聴覚と視覚から春を感じる。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、もちろん、

・岡本敏明作曲「どじょっこふなっこ」(東北地方のわらべうたの詞による)。

玉川学園の生徒が東北地方を公演旅行したとき、秋田に立ち寄り、そこで聞いた歌詞に引率者の一人だった岡本敏明が即興で作曲したもの。

すぐに編曲まで完成し、歓迎会に玉川学園の生徒たちの混声三部合唱で披露され、大きな拍手を浴びたという。翌日には混声四部合唱でも演奏されたという。

東北地方の方言の素朴な歌詞に、民謡調でなく、西洋風の変ホ長調で作曲されている。

2番は「夏になれば」、3番は「秋になれば」、4番の「冬になれば」まであるが、やはり春を感じる歌である。

              (2024.3.10

コラム159「めいめいの棲家(すみか)に向かって」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていた。

・夕焼けの配られてゆく部屋ごとにひと日背負いて人の帰り来    (大阪市)多治川紀子

夕日のさしている集合住宅に、一日の勤めを終えた人たちが帰ってくる。

部屋ごとにさしている夕日は変わらないが、その日一日の内容は一人一人違っている。

喜びに満ちた一日であった人も、つらく悲しい一日だった人もあるだろう。

それぞれの部屋に夕焼けが配られてゆくという表現が独特で面白い。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・大中恩作曲 混声合唱「煉瓦色の街~日日のわれらへのレクィエム」(詩・坂田寛夫)。

組曲ではなく、一続きで15分を超える無伴奏の混声合唱曲。

大中・阪田のコンビによる多数の作品の中でも重みのある作品。

昭和40(1965)年度の芸術祭奨励賞を受賞した。名曲。

戦後すぐの時代の下町の風景を、煉瓦色というトーンで描いた味わい深い曲。曲の中盤で、

「男たちは歩いてくる めいめいの棲家に向かって…

…重い光を背に受けて夕日の坂を降りて行く…」

と、12/8拍子で「行進曲風に」と指示してある部分がこの短歌と響きあう。

かつて大学の合唱団でこの曲を歌ったとき、大中氏の指導を受けたが、そのとき、

「労働者の群が、まるで大きな力で指示を受けた軍隊みたいにザックザックと歩いているように歌って」

と言われたことを思い出す。

                     (2024.3.3

コラム158「薄氷」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

・薄氷(うすらい)の水ごと風に揺れてをり    (東かがわ市)桑島 正樹

池に張った薄氷が風に吹かれて揺れている。

よく見ると、薄氷を浮かべている水も一緒に揺れている。

普通に言えば、風で池の水にさざ波が立ち、それによって浮かんでいる薄氷が揺れるということだが、

その因果関係を超えた詠み方をしているところが面白い。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・高田三郎作曲 中学生のための混声三部合唱曲集「友情の歌」より「薄氷」(詩・深尾須磨子)。

レパートリーが限られている中学生の混声三部合唱のための作品集。

その中で、この「薄氷」は(ここでは「うすらい」ではなく「うすごおり」と読む。)、難易度の高くない、親しみやすい曲。

(女声合唱版もある。)

「小川はまだ黙っているけれど 氷の下で春が動く 春が光る」と美しく流れるように歌いだし、

「薄い氷を叩きわって おどりあがれ 鯉よ 鮒よ」と軽やかに、春の訪れを望む心を歌う。

そして最初の部分に戻って、少し変化させて歌う。

肩の凝らない、あっさりとした小品。

高田三郎には「水のいのち」や「心の四季」などの力作以外にこんな曲もある。

          (2024.2.25

コラム157「かごかき」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていた。

・四月から小田原に住むこと決まり「おさるのかごや」唄って過ごす   (吹田市)中村 玲子

転勤で(?)4月に小田原に引っ越すことになった。

小田原といえばふつうは蒲鉾ということになるのだが、作者は童謡の「おさるのかごや」に連想が行ってしまった。

「小田原提灯ぶらさげて」という歌詞があるからだ。

頭の中でその歌がエンドレスで鳴り響くだけでなく、「えーっさ えーっさ えっさほいさっさ」と唄って過ごすというのだ。

楽しい人だ。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・佐藤眞作曲 混声合唱組曲「旅」より「かごにのって」(詩・田中清光)。

この組曲は昔からの合唱組曲の定番で、難易度はさほど高くなく、親しみやすいので、多くの合唱団で愛唱されてきた。

その中で「かごにのって」は、「エーイホ エーイホ」と掛け声も軽やかに歌いだす俗謡調のちょっとユニークな曲。

 岡崎市民合唱団では、この組曲を、2013年の第30回演奏会で演奏した。

                        (2024.2.18)

コラム156「水のこころざし」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

・涸れつつも水になほ行くこころざし     (東京都足立区)望月 清彦

川の水が少なくなって涸れそうになっている。そのわずかな水でも、先へ先へと進む意志が見られる。

川の流れるさまを表す「水のこころざし」という表現が面白い。

この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・高田三郎作曲 混声合唱組曲「水のいのち」より「川」(詩・高野喜久雄)。

現在、岡崎市民合唱団で練習している曲。合唱曲の中で名曲中の名曲といっていい曲。

短歌では先に進むこころざしを歌っているが、合唱曲では、「下へ下へと行くほかはない」と、意志と裏腹な流れを歌っている。

「先へ先へと」流れていく川を歌っているのは、

・橋本国彦作曲 「川」(詩・千家元麿)。

これらの曲は、岡崎市民合唱団第26回演奏会(2008年)で、「川のアンソロジー」というステージで演奏した。

このステージでは他に、

・小山章三作曲「千曲川の水上を恋うる歌」より「水上」(詩・薮田義雄)、

・多田武彦作曲 男声合唱組曲「柳河風俗詩」より「柳河」(詩・北原白秋)、

・萩原英彦作曲 女声合唱のための叙情三章より「風に寄せて」(詩・立原道造)、

・團伊玖磨作曲 混声合唱組曲「筑後川」より「河口」(詩・丸山豊)

も歌った。一つのテーマのもとに、いろいろな合唱曲でアンソロジーを組むのも楽しい。

                 (2024.2.11

コラム155「子どもの手」

 今日の朝日歌壇・俳壇には次の短歌・俳句が載っていた。

・学童の冬のガラスにほんのりふたつ母を待つ子の手のひらの跡    (山口県)庄田 順子

寒い日、学童保育施設の窓ガラスに子どもの手のひらの跡がふたつついている。

お母さん早く来ないかな、と待ちわびている子どもの気持ちが表れている手のひらの跡だ。

子どもを待たせて迎えに来た母親の、子どもに対するいとおしい気持ちの表れた一首。

・三才の手があたたかい冬の道     (川崎市)かとうゆうき

冬の道を、小さな子どもと手をつないで歩いている。子どもは体温が高いせいか手があたたかい。

寒い冬の日にはそれによって気持ちがほっこりする。

 これらの作品から思い浮かぶ合唱曲は、

・松下耕作曲 同声合唱のための「紀の国のこどもうた」より「いつつの手あそびうた」。

この曲集は、紀の国(今の和歌山県など)のわらべうたを題材に、松下耕が編んだ

無伴奏児童合唱(あるいは女声合唱)のための親しみやすい小品集。

「いつつの手あそびうた」は「せっせっせ」「一二の三 四の二の五」「あがり目さがり目」「たてたてよこよこ」などの、

手を使って遊ぶわらべ歌を組み合わせて楽しく歌える合唱曲。

実際にステージの上で手あそびをしながら歌うのも楽しい。

松下耕は岡崎市民合唱団が次の次の演奏会で取り上げることが決まっている作曲家で、優れた合唱作品が多い。

さだまさしの曲のアレンジも面白い。これから楽しみである。

                   (2024.2.4

コラム154「タツノオトシゴ」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていた。

・指切りや恋人つなぎにも見える尾を絡め合うタツノオトシゴ   (松阪市)こやまはつみ

今年の干支の辰にちなんだ短歌。

タツノオトシゴのカップルがしっぽを絡め合う姿は、ハートの形になるとよく取り上げられるが、

この歌の作者は、恋人同士の指切りや、指を絡め合う手のつなぎ方を連想している。

この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・高田三郎作曲 混声合唱組曲「水のいのち」より「海よ」(詩・高野喜久雄)。

現在、岡崎市民合唱団で練習している曲。

「くらげは 海の月 / ひとでは 海の星 / 海蛍 海の馬…」

と、幻想的に歌うところで、この「海の馬」がタツノオトシゴを表す。

タツノオトシゴのことを英語でsea horse というから。

古い辞典で「海馬」を引くと、アシカ、セイウチ、ジュゴンなどのこととあるが、

最近は海馬といえば脳の記憶をつかさどる領域という意味でよく使われる。

タツノオトシゴはオスが育児・出産をするという。

タツノオトシゴのオスは、メスとのラブラブだった日の記憶を胸に子育てにいそしむのだろうか。

         (2024.1.28

コラム153「花嫁衣裳」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていた。

・花嫁の衣装を見てる新婦側 顔だけ見てる新郎側客     (富士市)村松 敦視)

結婚式、あるいは披露宴に出席して、出席客の視線を観察している。

新婦側の客は、新婦の顔はよく知っているので、衣装に目が行き、きれいな衣装だなあと感心している。

新郎側の客は新婦の顔に目が行き、きれいなお嫁さんだなあと感心している。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・三善晃作曲 混声合唱組曲「子どもの季節」より「かんがえるっていいね 」(詩 みやわきこずえ )。

この組曲は、

ゆき : かがやまさみ 詩
サンタクロース : ふるだてひでお 詩
ぼうし : 高桑めぐみ 詩
かんがえるっていいね : みやわきこずえ 詩
ゆうべ : 染谷美代子 詩
かみなり : 山本 修 詩
えらい人 : よしもとてるお 詩
えんそく : やまぐちひでかず 詩

という、8つの子どもの詩による無伴奏混声合唱組曲。

その中で、「かんがえるっていいね」では、こずえちゃんは庭で空想する。「およめさんになったときのこと」を。

次々に転調するのが、空想が広がっていくのを表している。最後の「よかったわよ」がかわいい。

私はこの組曲を、大学の合唱団で、増田順平氏の指揮で歌ったことがある。名曲である。

              (2024.1.21

コラム152「虎落笛(もがりぶえ)」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

・枯草の吹かれて己が音を出す     (厚木市)北村 純一

枯野に寒風が吹いている。ピューッという風の音は枯草が吹かれて自分自身が出している音だ。

実際は枯草の固有振動数は人の耳に感じない範囲かもしれないが、

作者の心の中では枯草自身の出す音なのだ。

・虎落笛(もがりぶえ)これは地球の回る音     (枚方市)秋岡 実

これはうって変わってスケールの大きな句。

冬の強い風が竹垣などに吹き付けるとピュ~と音が鳴るのを虎落笛というが、

これをとらえて、「地球の回る音」と感じている。

地球はゆっくり回っているように見えて、実はすごいスピードで回っている。

自転では、24時間で一周するから、赤道付近では4万キロ÷24時間で、

時速約1670km、秒速約460m。

日本付近でもcos35°(≒0.819)をかけて380m/sと音速を超える。

さらに、公転では、(1.5億×2×3.14)km÷(365×24)時間で、

時速10万kmを超える(秒速にすると約30km)。

もちろん空気も一緒について回っているので音は出ないけれど、作者にはその音が聞こえるのだ。

・ウクライナよりの嘆きか虎落笛     (今治市)横田青天子

同じく虎落笛の音を、この作者は戦火に苦しむウクライナの人々の嘆きの声ととらえている。

悲惨な状況からの訴えを作者は感じているのだ。

 これらの俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・高田三郎作曲「冬・風蓮湖」(作詞:岩間芳樹)。

これは、1979年度NHKコンクール高等学校の部の課題曲として作られたもの。

出だしから虎落笛の音で始まる。

ひゅう ひょう  大地の叫び 樹の叫び

風鋭く刺し 流氷の海から 野面をわたる

ひょう ひゅう 白く凍てつく 根釧原野

ああ冬 冬荒涼…

と、冬の風蓮湖の厳しい情景を表現し、白鳥と鴉を対照的に描き、

やがて鴉に心を寄せ、

 ああ春 春を待つ

と、未来に希望を持ち、明るく終わる。

全体がト短調なのだが、最後はト長調で明るく終わる。

この曲を歌う高校生たちの未来を明るいものにしたいという願いがこもっているように思う。

高田三郎らしい、いい曲なんだけど、一つ問題があって、それは、

「根釧原野」のところを「こおーんせんげーんや」と作曲しているところ。

たぶん高田三郎ははじめ「こんーせんげーんや」と作曲したものと思われる。

(そのほうが自然だもの)

それを、1拍目から「ん」で伸ばすのが嫌だったのだろう、

「こおーんせんげーんや」と直してしまった。

いかにも不自然で歌いにくいい。小さな温泉のある原野みたいに聞こえる。

ということで、個人的には合唱の名曲には入れたくない。

            (2024.1.14

コラム151「問う力」

今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

・問はるるは問ふ力らし初日記     (富士市)村松 敦視

人間、大切なのは、問題を解く力ではなく、問う力、問題点を見つける力だと思う。

自分自身の問題点に問いかけよう、世の中の問題点に問いかけよう、そう言い聞かせて今年初めての日記を書こうとしている。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・湯浅譲二作曲「問い」。

1.ンとン? 2.マドリガル 3.ルーティーン 4.肯定的な答 5.心理テスト 6.黙秘権

の6曲からなる。調性のない、前衛的な合唱曲。

「ご機嫌いかが?」とか、「いかに生きるべきか。」とか、「人類は滅びるか?」とか、いろいろな問いが発せられ、

「ン?」という上向きのイントネーションの音型が繰り返されたりする。

ずいぶん前(たぶん作曲された直後の1970年代)にNHKFMの「現代音楽の時間」で聴いて、とても興味深かった印象がある。

                     (2024.1.7

コラム150「次の演奏会の曲目」

 今日は、朝日歌壇・俳壇はお休みのようです。

 次の、正確には次の次、第38回演奏会の曲目が決まりました。

・モーツァルト作曲「孤児院ミサ」ハ短調K139

・新実徳英作曲 川崎洋の詩による五つの混声合唱曲「やさしい魚」

・松下耕編曲 混声合唱による さだまさし作品集「北の国から」より

これらの曲は、2024年5月19日に行われる第37回演奏会が終わってから練習に入る予定です。

          (2023.12.31)

コラム149「百人一首」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていた。

・渡り手をはじめてほめられた帰り 駅で苺のアイスを食べる   (奈良市)山添 葵

「渡り手」は競技かるたのテクニックで、同じ字から始まる2枚以上の札を同時に払う技。

葵さんは競技かるたの部活でこの技を成功させ、はじめてほめられたのだろう。

自分へのごほうびとして、駅で苺のアイスを食べて、そのうれしさをかみしめている。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・千原英喜作曲 小倉百人一首より「歌垣」。

小倉百人一首の和歌5首に作曲された無伴奏の混声合唱のための作品。2分前後の短い次の5曲からなる。

①ちはやぶる(在原業平)、②めぐりあひて(紫式部)、③はなのいろは(小野小町)、④うらみわび(相模)、⑤これやこの(蝉丸)。

古文・文語体の和歌に現代的な曲が織りなして面白い取り合わせの効果を作っている。

和歌が作られた当時は関西弁のイントネーションで詠まれたと思われるものを

現代の標準語(関東系の)イントネーションのメロディラインで作曲されることに、個人的には違和感を覚える。

           (2023.12.24)

コラム148「ライオン」

今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

 ・ゆふまぐれ屏風へ帰る虎と獅子     (東京都)吉竹 純

動物園で動物を見ていたが、夕方になって、トラやライオンは檻の奥のほうへ帰って行ってしまった。

それを「屏風へ帰る」とみなしたところが面白い。

この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・大中 恩作曲 混声合唱曲集「わたしの動物園」より「マンモス」(詩・阪田 寛夫)。

「ライオン王さん どえらい声で言いました…」と歌いだし、「マンモスはどこ行った」とサボテンを張り倒して怒りまくっているライオン王に対して、

大物のマンモスは「お昼寝ですわい」という余裕。

無伴奏だが、リズムに乗った歯切れのよい合唱。大中恩のノリのいい曲が詩の面白さを生かしている。

阪田寛夫と大中恩はいとこで、気が合うようだ。このコンビの曲は多い。有名な「サッちゃん」などもそうだ。

                  (2023.12.17)

コラム147「私を樹に喩える」

今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

・木の葉髪わたしはどんな一樹だろう    (大和市)澤田 睦子

秋も深まって抜け毛が多くなってきた。

こんなにたくさんの毛を落とす私は、落ち葉を散らす樹に喩えるとどんな樹なのだろう。

落葉樹のあれこれを思い浮かべてみる。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・佐藤眞作曲 「みえない樹」(伊藤海彦・詩)。

1977年度のNHKコンクールの高校の部の課題曲。

「わたしの中の一本の樹 いつからか芽生えて伸びた名前のない樹よ」と歌いだし、激しく盛り上げては同じテーマに戻ってくる。

後半で「樹のかたちした 私の心よ」とあかす。

高校生が情熱を傾けて歌い込むのにふさわしい名曲だと思う。

岡崎市民合唱団では2001年の第21回演奏会で、NHKコンクール課題曲集というステージの中でこの曲を歌っている。

また、私は、1977年にこの曲でNHKコンクールに参加し、高校の合唱部を指揮している。

 また、今日の朝日歌壇にはこんな短歌も載っていた。

・落葉するときも落葉をしたあとも風に従うしかない落葉     (館林市)阿部 芳夫

枯れ葉が木から離れて落ちるときも、地に落ちた枯れ葉が飛んでいくのも、風の吹くに任せるしかない。

落葉にとってはあたり前のことだが、運命に従うしかない人間の悲しさを歌っているようだ。

人間を樹に喩えたり落葉に喩えたり、比喩は表現を豊かにする。

                     (2023.12.10)

コラム146「星月夜」

今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

・星月夜童話忘れず誰も老ゆ     (横浜市)飯島 幹也

よく晴れて星が明るく照らし、月が出ていないのに明るい夜。こんな夜には昔聞いた童話を思い出す。

たとえば新実南吉の「手ぶくろを買いに」や「ごんぎつね」。こんなに老いた今でも、幼いころ聞いた童話を思い出す。

誰でもそうだと思う。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・松下耕作曲 さとう恭子の詩による愛唱曲集「やさしさに包まれて」より「星月夜」。

この曲集は12曲の無伴奏の女声合唱曲からなる。雑誌に連載された女声合唱曲を集めたもの。

あまり難しくないので、お母さんコーラスでよく歌われる。

合唱曲ではないが、

・横山裕美子作詞・作曲 音楽劇「手ぶくろを買いに」

も、合唱にして上演すると面白いと思う。

また、今日の朝日歌壇には次の短歌も載っていた。

・兵十はまた失ってしまったよ青いけむりはごんのたましい    (奈良市)山添 聡介

「ごんぎつね」を見ての感想を歌っている。

母を失った悲しみに追い打ちをかけるようにごんを失ってしまった宗十。

しかも自分の銃で。その悲しみを、青いけむりで表している。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・池辺晋一郎作曲 合唱オペラ「ごんぎつね」(新実南吉・原作、村田さち子脚本)。

                     (2023.12.3)

コラム145「蝶」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていた。

・蝶の影蝶を離れて命あるものの如くに路上に弾む   (鴻巣市)松葉 雅実

蝶が飛んでいる。その影が路上に写っている。

弾むような蝶の飛翔に合わせて、蝶の影も地上で弾んでいる。

影にも命があるようだ。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・中田 喜直作曲 女声合唱組曲「蝶」より「飛翔」(詩・伊藤 海彦)。

「誕生」「飛翔」「灰色の雨」「越冬」「よみがえる光」の5曲からなる組曲で、

蝶の一生を人間の一生のように描いている。

「飛翔」はその第2曲で、ピアノの右手の装飾的な音型と合唱の「ひらひら」というオノマトペを駆使して、

蝶がひらひら舞う姿が目に浮かぶように歌われる。

                    (2023.11.26)

コラム144「木犀」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていた。

・気付かれぬ長き時間を思いけり金木犀の咲けば馨れば    (我孫子市)松村 幸一

金木犀が咲いて、いい香りが漂っている。

香りが漂い始めるまで、そこに金木犀の木があることも忘れていた。存在感の薄い木である。

桜であれば、花咲くとき、つぼみの時季はもちろん、

秋の桜紅葉、また蕊降るときにも桜の木の存在が意識されるのだが。

それでも、金木犀は長い時間をかけて花を咲かせ香りを漂わせる準備をしてきたことだろう。

そのことに思い至った作者。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・湯山昭作曲 女声合唱曲「木犀のセレナーデ」(詩・関根栄一)。

(以前このコラムで触れたことがある。)

1985年の全日本合唱コンクールの選択曲になって多くの女声合唱団に歌われた。

私もこの年、この曲で高校の女声合唱を指揮した。

もとは歌曲で、混声合唱の版もある。

湯山昭独特の繊細なタッチの曲で、ピアノも重要な位置を占めている。

「夜はひかりのない星から 来るのですか

 せめて消しようもない想いを 知らせたいと

 夜は星の香りを 木犀にちりばめ・・・」

と、夜の木犀の香りから、過ぎた夏の思い出に浸る秋を歌う。

 もう1曲、「木犀の花の香りにむせぶ・・・」という歌詞の女声合唱曲も思い浮かぶ。

身の回りに楽譜が見当たらないが、曲名はたぶん「木犀」。作曲者は忘れてしまった。

長い時間はいろいろなことをぼやけさせ、遠ざけていく…。

今思い出した。

・湯山昭作曲 女声合唱曲「木犀」(詩・山村暮鳥)だった。

1978年の全日本合唱コンクールの選択曲になった曲。

同じ湯山昭の女声合唱曲で、曲名も似ていて混同していた。

                    (2023.11.19)

コラム143「レモン」

今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

・丸善の檸檬一個と戦争と   (東京都)吉竹 純

梶井基次郎の「檸檬」で書かれたレモンの爆発の空想から、

ウクライナやパレスチナで実際に起こっている戦争の悲惨を連想している。

戦争のほうは現実なのだ。

この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・高嶋みどり作曲「きょうの陽に」(詩・新川和江)。

2001年度のNコンの高校の部の課題曲で、混声・女声・男声版がある。

「これはりんご 今年のりんご 神話の中のりんごじゃない

 あれはレモン 今年のレモン きょうの陽に輝くレモン」

と歌いだし、ピアノの右手が「レモン」の音型を弾くのが印象的。

途中、「走っていく」の繰り返しがくどい気がするが、最後に、

「あれはレモン 今年のレモン こころざし高く持てよと

 きょうの陽に輝くレモン」と歌う。

象徴的な詩なので、りんごは何を表すのか、レモンは何を象徴するのかと、

当時の高校生たちは真剣に話し合ったものだ。

          (2023.11.12)

コラム142「十字架」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

・十字架を背負ふイエスと案山子かな    (大村市)小谷 一夫

立っている案山子を見ていると、十字架を背負っているように見える。

田畑を守るという重い役目を背負わされているように。

人々の罪を背負ってゴルゴタの丘で張り付けられたキリストのように。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・ベートーヴェン作曲 「ミサ曲ハ長調 作品86」より「クレド」。

テキストはミサ通常文による。その中間部に「クルチフィクスス」という部分がある。

「(キリストは)われらのために十字架にかけられた」と、バス、アルト、テノール、ソプラノの順に歌う場面で、

オーケストラが「ズダダダズッダッズッダ」とたたきつけるように演奏する部分が、

キリストを十字架に釘で打ち付けるときの金づちの音のように感じられる。悲痛な場面である。

岡崎市民合唱団ではこのミサ曲を、1983年の第5回演奏会、2008年の第26回演奏会、そして今年2023年の第36回演奏会で演奏した。

何度演奏してもそのたびに素晴らしいと感じる名曲である。

                  (2023.11.5)

コラム141「りんどう」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていた。

・最期まで農に慣れずに逝きし母 愛したリンドウ段畑に咲く  (安芸高田市)安芸 深志

心ならずも農家に嫁いできて、農業に親しめないまま死んでしまった母。

その母が植えて育て、愛したのは出荷する作物ではなく、りんどうの花。

今その花が母の耕していた段々畑に咲いている。

作者はその花を見ながら母の思い出をかみしめている。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・石井歓作曲「青い葦とりんどうの話」(詩・中田浩一郎)。

芸術祭に合唱曲の作曲のコンクールが行われるようになった初年度の1961年、

芸術祭奨励賞(のちの芸術祭優秀賞にあたる)を受賞した合唱組曲。朝日放送の委嘱による。

1960年代、70年代に盛んに歌われた。女声版もある。

この年の芸術祭賞(のちの芸術祭大賞にあたる)を受賞したのは、

・高田三郎作曲 混声合唱組曲「わたしの願い」(詩・高野喜久雄)で、

同じ年に参加した、

・佐藤眞作曲 混声合唱組曲「蔵王」(詩・尾崎左永子)

は受賞していない。この曲が最もよく歌われたのだが。

                    (2023.10.29)

コラム140「どんぐり」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

・団栗も並べられると背伸びする     (兵庫県太子町)曽我 悦子

どんぐりの背比べという比喩から発想した言葉遊び。人間の、見栄を張りあう習性を思わせる。

この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・三善晃作曲 混声合唱組曲「五つの童画」より「どんぐりのコマ」(詩・高田 敏子)。

「どんぐりのあたまはなぜとがっている・・・」と、ひとしきりのどかに無伴奏で歌った後、

「もういいかい と いちばんおおきなどんぐりきいた」からピアノが激しく入ってきて、

2分の1.5拍子、{(8分の3)+(8分の3)}拍子などという変拍子も入った、入り組んだ構成の

超絶技巧の合唱曲になっている。難曲だが名曲。

最後は「かしの実(とんがりあたまのコマ) 輪になってまわれ」と、テノールとソプラノがHigh‐Aで絶叫して終わる。

(ひとつ前の「まわれ」はHigh‐H。)

               (2023.10.22)

コラム139「満天の星」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていた。

・満天の星に全山虫時雨        (西東京市)高橋 秀昭

山の中にいて、夜空を見上げている。夜空にはおびただしい数の星が輝いている。

地上では山の中いっぱいの虫の声が鳴り響いている。

「満天」と「全山」の大きなもの同士の対比が効いている。

・八百比丘尼歩いても歩いても銀河   (草加市)近藤 加津

八百比丘尼は、特別なもの(一説には人魚の肉)を食べて不老不死となった伝説上の女性。

この女性が家を出てさ迷い歩いた伝説から作られた句。どこまで行っても天の川が横たわっている、と、果てしない旅路を思わせる。

種田山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」の句も思い出させる。

 これらの俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・清水脩作曲 男声合唱組曲「山に祈る」より「山の夜」(作詞・清水脩)。

この組曲は、山で遭難死した学生の日記をもとに、清水脩自身が作詞、構成したもので、

息子を亡くした母親の慟哭が込められている。男声合唱の合間に置かれたナレーションも効果的で聴衆の涙を誘う。

「山の夜」は、そのはじめの歌詞が「満天の星」で、夜の山小屋で登って来た山の魅力を思い浮かべて歌う。

この組曲は、初演ではダークダックスがオーケストラとともに演奏した。

男声合唱組曲として編曲され、多くの合唱団で演奏され、混声版もよく演奏された。

              (2023.10.15)

コラム138「秋の人形」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

 ・菊人形見え切る先に誰も居らず    (玉野市)勝村 博

歌舞伎役者を模した菊人形が飾ってある。

見えを切ったポーズで作ってあるが、役者なら客に向かって見えを切るものだが、菊人形は見えを切った先には誰もいない。

それが何かむなしい気がする。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・高田三郎作曲「雛の春秋」より「秋の人形」(詞・村上博子)です。

「秋の日は 物言わぬ人形の心があふれて・・・」とさわやかに歌いだし、娘らと人形の心の交流が歌われます。

高田三郎らしい弱拍から強拍にもたれかかる、思いを込めた旋律線と、

女声合唱の繊細さを生かした緻密な和声にきっちり完成された女声合唱の名曲です。

昨日のNコン全国大会で豊島岡女子学園高校が歌った

・高田三郎作曲「遥かな歩み」より「機織る星」(詞・村上博子)も同様に名曲です。

 今日、岡崎市民合唱団は、岡崎文化協会の芸能祭に出演して、

・高田三郎作曲「水のいのち」より「雨」「水たまり」(作詩・高野喜久雄)と、

・源田俊一郎編曲「混声合唱のためのホームソングメドレー 第2集」より「アメリカ編」

 (「懐かしの我がケンタッキーの家」「夢路より」「峠の我が家」)

を歌ってきました。高田三郎の合唱曲はいいなあ、と実感してきました。

                 (2023.10.8)

コラム137「やんま」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・鬼やんまわが持たぬものすべてもつ    (佐渡市)千 草子

鬼やんまを見ている。威厳のある風格、それでいて軽やかで、瞬発力・行動力もある。

自分にないものがすべて備わっているのをうらやましく思っている作者。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・新実徳英作曲 女声合唱組曲「ことばあそびうた」より「やんま」(詞・谷川俊太郎)です。

「やんまにがした ぐんまのとんま さんまをやいて あんまとたべた」

という、韻を踏むというより、しゃれのような言葉の遊びである詩に、

それを楽しむようにリズムよく歌う合唱曲です。

組曲にはほかに「だって」「いるか」「かぞえうた」が入っていて、全4曲からなります。

いずれもリズムを楽しむ歌です。

同じ作詞・作曲者の曲で、男声合唱のための「ことばあそびうたⅡ」もあります。

これらの詩を含む「ことばあそびうた」という絵本(絵・瀬川康男)も、

少しとぼけていて楽しいものです。

             (2023.10.1

コラム136「台所」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・台所五十年間休みなく生きて動いて考えた場所  (飯塚市)春 春代

結婚して五十年、金婚式を迎え、つくづく思う。主婦として過ごす拠点となってきたのは台所。

ものを考え、行動を起こす拠点となった場所でもある。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・岩河三郎作曲 女声合唱曲集「お台所のうた」(詞・高田敏子)です。

「電気ガマ」「おとうふやさん」「ぞうきんがけ」「買い物」の4曲からなる、親しみやすい女声合唱曲で

、高田敏子の、主婦としての日常の悲哀をつづった詩を軽やかに歌います。この続編の、

・岩河三郎作曲「続・お台所のうた」(詞・高田敏子)

とともに、多くの女声合唱団、とりわけお母さんコーラスと言われるジャンルでよく歌われます。

岩河三郎は「木琴」、「親しらず子しらず」などの作品が中学生によく歌われています。

 岡崎市民合唱団では、岩河三郎作曲の「富山に伝わる三つの民謡」を、第7回(1985年)と第25回(2006年)の演奏会で歌っています。

また、第29回演奏会(2012年)では、

・スメタナ作曲「モルダウ」(訳詞・編曲・岩河三郎)を歌いました。

                     (2023.9.24)

コラム135「猫じゃらし」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・世にありて少し斜めに猫じゃらし    (我孫子市)森住 昌弘

猫じゃらし(エノコログサ)が道ばたに生えている。少し斜めになっている。

人が世の中を斜に構えて見ているようだ。

私の父はこの草の名を「イヌコロ」と教えてくれたが、エノコロの語源はそんなところかもしれない。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・新実徳英作曲 混声合唱とピアノのための「花に寄せて」より「ねこじゃらし」(詩・星野富弘)です。

(女声合唱版もあります。)

「思い出の向こう側から 一人の少年が走ってくる 

 あれは白い運動ぐつを 初めて買ってもらった日の 私かもしれない・・・」

星野富弘氏は事故で全身不随になり、口で筆をくわえて詩や絵を描いた人です。

将来自分が不自由な体になることを思いもしない、無邪気な少年時代の自分を懐かしく思い出しています。

ピアノパートが楽しげに走ってくる様子を軽やかなリズムで表しています。

                  (2023.9.17)

コラム134「鴨居の写真」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・どの家(や)にも死者が鴨居にゐた昭和 深閑として遠きカナカナ  (浜松市)松井 惠

 昔の木造の和風建築には必ず鴨居があって、先祖の写真が額に入って鴨居にかけられていた。

最近の家は洋風建築が多く、先祖の写真をかける家も少なくなってきた。

蜩の声を聞くと、昭和の家の様子が思い出される。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・大中恩作曲「煉瓦色の街」(作詩・阪田寛夫)です。

「日々のわれらへのレクィエム」という副題がついていて、

組曲ではなく、一続きの無伴奏の合唱曲で17分ぐらいかかる曲です。

色彩感豊かで、歌っていると映像が目に浮かぶ名曲だと思います。

一昔前、昭和30年代ぐらいの下町の日常と、その中での子どもたちの生き生きした姿が描かれています。

「六畳の茶の間に 戦死した亭主の写真が うっすらと埃をかぶっている」

という歌詞が、この短歌と結びつきました。

私は大学の合唱団でこの曲を歌ったことがあります。

そのとき、作曲者の大中恩氏に練習を見てもらいました。

(練習会場はたぶん大幸幼稚園でした。)

ユーモラスに身振りをまじえて指導していただいたことを思い出します。

         (2023.9.10)

コラム133「風になりたい」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・ほんたうの風になりたき扇風機     (横浜市)佐々木ひろみち

扇風機の風はどこか人工的でなじめない。扇風機自身もそう思っているのだろう。

こんなんじゃない。本当の風になりたい、なりたいと思って首を振っているのだろう。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・磯部俶作曲「風になりたい」(詞・喜志邦三)です。

同声三部合唱で、小学生がよく歌う合唱曲です。

「丘のふもとの細道に 野バラの花を咲かせたい

牧場で草を食べている 羊の群れを訪ねたい

大波ゆれる海越えて 岬の白い家に住む 灯台守を 訪ねたい」

と、子どもらしい夢を膨らませる、易しく、親しみやすい曲です。

ほかに、2005年度のNコンの高校の部の課題曲となった、同じ題名の

・寺島陸也作曲「風になりたい」(詞・川崎洋)

も、高校生だけでなく中学生にもよく歌われます。

                  (2023.9.3

コラム132「月と蛾」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・美しき蛾が死にに来る月の夜     (金沢市)前 九疑

月の明るい夜、部屋に美しい蛾が入ってきた。飛んで灯に入る蛾の運命は死しかない。

蛾はそれを知りつつ死にに来るのではないだろうか。

美しい蛾と明るい月とが幻想的な夜を演出している。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・多田武彦作曲 男声合唱組曲「草野心平の詩から」より「石家荘にて」です。

多田節と呼ばれる、だだハモりの無伴奏の男声合唱曲です。

 茫々の平野くだりて/  サガレンの/  潮香かぎし女/  月蛾の街にはひり来れり

 白き夜を/  月蛾歌はず/  耳環のみふるへたり

 ああ/  十文字愛憎の底にして/  石家荘/  沈みゆくなり

「月蛾」は娼婦の名、「サガレン」はサハリン(樺太)のこと。

草野心平が中国の石家荘で出会った娼婦の印象を幻想的に歌っています。

                 (2023.8.27)

コラム131「流浪の民」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・夏つばめ流浪(さすら)ふ民をはげまして     (川口市)青柳 悠

燕が人の近くを飛び交っている。さすらい歩く人々をはげますように。

福島の帰宅困難な人々のことだろうが、ウクライナの人々のことを意識しているのかもしれない。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・シューマン作曲「流浪の民」(詞・E・ガイベル)です。

日本では石倉小三郎の訳詞でよく歌われています。元の詩より良くできた名訳だと言われています。

ナイル川のほとりからスペインを経てヨーロッパ各地を放浪するロマ(かつてジプシーと呼ばれた)のことを歌っています。

「ニイルの水」とはナイル川を指します。

元は歌曲ですが、合唱曲の名曲として親しまれています。

コンパクトな中に、ソプラノ、アルト、テノール、バスのソリストにそれぞれ聞かせどころがあり、多くの合唱団で歌われています。

私がこの曲を始めて歌ったのは高校の合唱部の1年生のときです。

すでに卒業した先輩(藤村さん)が指導に来て、

「出だしの、『ブナの森の』の『ブナ』は『ブッナ』と小さい「ツ」が入るように歌って」などと指導してくれたのを思い出します。

岡崎市民合唱団では、第6回演奏会(1984年)で、「大作曲家を歌う」というステージの中でこの曲を歌いました。

                          (2023.8.20)

コラム130「八月の空耳」

 今週は朝日歌壇・俳壇がお休みのようです。

先週(8月6日付)の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・ただいまかえりました八月の空耳    (武蔵野市)蓮見 徳郎

八月になると、戦死してもう帰って来ない人たちが、ただいまと言って帰ってくるような気がする。そのまぼろしを「空耳」と表現したことがすばらしい。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・黒沢吉徳作曲 混声三部合唱曲「消えた八月」(詞・栄谷温子)です。

「熱い光の中で 僕は一枚の絵になった

 熱い風の中で 君はひとつの石像になった」

という歌詞で始まる、激しく訴える曲です。

原爆の熱線によって、ある人はその存在を消され、影だけが壁や石段に残されている。

またある人の体は黒焦げになって石像のように立ち尽くしている。

そんな強烈な映像の描写から歌い始めます。

「蝉とひまわり、星まつり」の平穏な人々の生活が、一瞬にして地獄と化してしまったことに対する憤りを強く歌うメッセージ性の強い合唱曲です。

混声三部合唱という声部構成で、多くの中学生に歌われてきました。

8月だけで終わらせてはいけないのですが、

やはり、8月は戦争と平和について見つめ直すべき時期だと思います。

         (2023.8.14)

コラム129「海に謝る」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・海の日や海に謝ることばかり    (日進市)松山 眞

7月17日は海の日だった。海は人間のせいで多くの問題を背負い込み続けている。

多くの化学物質による海洋汚染、マイクロプラスティックなどのゴミによる取り返しのつかない海の荒廃、

原発事故による汚染水の処理しきれなかった排水を海洋に放出することなど、

海に迷惑をかけてばかりだ。海に謝らなければ。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、来年の演奏会に向け、現在、岡崎市民合唱団で練習している、

・高田三郎作曲 混声合唱組曲「水のいのち」より「海よ」(詩・高野喜久雄)です。

「ありとある芥 / よごれ疲れはてた水 /

 受け容れて / すべて 受け容れて /

 つねに あたらしくよみがえる / 海の不可思議」と歌います。

すべてを受け容れる海の包容力を歌っているのですが、受け容れきれなくなることは想定していません。

我々人類は取り返しのつかないことをしているような気がします。

謝ってすむことではありません。

              (2023.8.6)

コラム128「迷子」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・炎天に迷子の我を捜しけり    (熊谷市)内野 修

炎天下を歩いていると、ぼうっとして意識が薄くなり、自分がなぜここにいるのかあいまいになることがある。

そんな中、自分を取り戻そうとすることを「迷子の我を捜す」と表現しているのが面白い。

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・大中恩作曲 混声合唱曲集「サッちゃん」より「いぬのおまわりさん」(作詞・佐藤義美)です。

「まいごのまいごのこねこちゃん」で始まる有名な童謡で、多くの人に親しまれています。

作曲者自身により、混声四部合唱、混声三部合唱、女声三部合唱などの合唱曲に編曲されています。

 私はかなり前に、名古屋市立北高校合唱部の定期演奏会で、この曲集を聴いたことがあります。

簡単な身振りや動物の鳴き声を入れるなど、演出を考えて演奏していました。

聴衆を楽しませるためのこのような演出は効果的だと思います。

 岡崎市民合唱団では、「わんぱくフェスタ2008」で、「バナナだいすき」というステージの中で、この曲集の中から、

・「バナナをたべるときのうた」(詞・佐藤義美)と

・「サッちゃん」(詞・阪田寛夫)を歌いました。

             (2023.7.30)

コラム127「水の厚さ」

 今週の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・水馬(あめんぼ)の水の輪を見て識(し)りにけり水の厚さが在るものなりと (東京都)松木 長勝

あめんぼが浮いている。そこから広がる波紋を見ていると、水に厚さがあることがわかる。

水の表面張力に支えられて浮いているのだが、それを、水に厚さがあるので跳ね返されているととらえているのだ。

浮いているのは水の表面張力のせいだから、例えば石鹸水のように表面張力を下げるようなものを混ぜると、あめんぼは浮かべなくなって沈んでしまう。

あめんぼはカメムシの仲間で、さわると飴のような甘いにおいがすることからついた名前と言われる。

「水馬」と書いて「あめんぼ」と読むが、「みずすまし」とも読む。

地方により、また時代によってそういう呼び名があるのだ。

一方、「みずすまし」という名の甲虫(こうちゅう)がいる。

カメムシの仲間のあめんぼとは姿かたちは全く違うが、やはり水面に浮いて生活している昆虫である。

この甲虫のみずすましは地方によっては「まいまい」と呼ばれる。

ところが、地方によっては「まいまい」はかたつむりを指す。

生きものの名は複雑である。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・高田三郎作曲 組曲「心の四季」より「みずすまし」(詩・吉野弘)です。

「心の四季」は、現在市民合唱団で練習している「水のいのち」と並んで、高田三郎作曲の名曲中の名曲の合唱組曲です。

「一滴の水銀のようなみずすまし」が浮いていて時折水にもぐることを、

私たちの日常の比喩として比較し、「日常は分厚い」と歌います。

これが元の短歌の歌う「水の厚さ」ということになるのでしょう。

            (2023.7.25)

コラム126「島の孤独」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・島つなぐ橋ができた日あらためて島の孤独を知ることになる   (江別市)長橋 敦

橋ができて島が本土(?)と陸続きになった。あらためて思い返してみると、

これまでの取り残されてきた日々、これからの本土へ従属した日々を思い、孤独を感じる。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・大中恩作曲「島よ」(詞・伊藤海彦)です。

この曲は6つの楽節からなる20分を超える合唱の名曲です。

元は混声合唱曲として作曲され、のちに男声合唱版と女声合唱版も作られています。

上の短歌で歌われた島(橋で簡単に陸続きになる島)と違って、

「さだめられたひとりを生きる」という絶海の孤島を歌っています。

元は、「ほとばしるマグマ」「とび散る溶岩」という火山島で、

今は静かな孤独な日々を「おまえは私ではないのか」と、自分に引き寄せて歌います。

 岡崎市民合唱団では、2010年の第28回演奏会で演奏しました。

                  (2023.7.16)

コラム125「かたつむり」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・ででむしの親なく子なく彷徨(さまよ)へる    (長崎市)田中正和

かたつむりに限らず、哺乳類と鳥類以外のほとんどの動物は子育てをしないので、親子関係は希薄なのだが、

かたつむりの動きを見ていると、ふらふらと、どこか頼りなさげで、

親でもいれば支えたり励ましたりできそうなのにと同情してしまう。

 この俳句から思い出す合唱曲は、

・大中恩作曲「かたつむりのうた」(詞・阪田寛夫)です。

この曲は、1972年度の第39回NHKコンクールの中学の部の課題曲としてつくられたもので、

混声3部と女声3部合唱があります。

その後、1988年度の第55回Nコンの中学の部の選択曲(課題曲B)になったこともあります。

「花の咲く木が 好きだけど/かたつむりは ちょうちょうじゃない/

つのを ふりたて 進むけど/かたつむりは 牛でもない」

というメルヘンのような歌い出しから、

「自分の家に閉じこもり/窓閉め切って考える/かたつむりはかたつむり

雨の降る日に 葉の陰に/重い心を抱えてる/でんでんむし かたつむり」

と、登校拒否や引きこもりを思わせる展開となり、

「お前の口はどこにある/声出せ もの言え ちぢかむな」

と励ますように歌い、最後に、

「でも/花びらが さらさらと/空から ふってくる朝は/こずえの先で 歌うでしょう

まいまいつぶろ かたつむり/まいまいこんこ まいこんこ」

と、美しくまとめて歌います。

当時は引きこもりなどが注目されるような時代ではなかったのですが、

鬱屈した若者の心情に寄り添った詞になっています。

曲は、中間部を除けば、あまり深刻にならず、あっさりしたタッチで歌える合唱曲になっています。

 かたつむりは不安定な心を通わせやすい存在のようです。

                  (2023.7.9)

コラム124「銃」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・おもちゃ売り場通りしばかりにゆきずりの男の子から銃で撃たれつ   (甲府市)村田一宏

デパートのおもちゃ売り場を通りかかると、ふいに、

男の子がおもちゃの銃を手に「バアン」と撃つまねをする。

こちらも「やられたあ」と、撃たれたときのリアクションをとる。

この男の子が将来銃を手にすることが無いよう願いつつ。

 この短歌から思い浮かんだ合唱曲は、

・三善晃作曲「トルスⅡ」(詩・萩原朔太郎)です。

この曲は、混声合唱とエレクトーンと打楽器群の編成で、

萩原朔太郎の詩集『月に吠える』から「殺人事件」と「見えない兇賊」の

二つの詩をテキストにしています。

作曲されたのは1961年で、三善晃としては初めて作曲した合唱曲です。

バスの無調のヴォーカリーズで始まり(しかも跳躍音程)、

ソプラノも無調で「とほい空でぴすとるが鳴る」と歌います。

「ぴすとるが」は下3声とのMaj7thの和音に支えられ、

次の「またぴすとるが鳴る」も調性感の希薄な合唱で歌われます。

ここで初めて鳴らされるピアノとエレクトーンも無調の現代音楽で、

朔太郎の詩の禍々しさから三善晃が感じた孤独感を反映しています。

曲全体を通して、調性感はなく、拍節も、第1楽章では8分の7、4分の2、8分の5、

第2楽章では8分の5、16分の9、16分の7、といった変拍子が多用されています。

この曲は当時の他の合唱曲から全くかけ離れた現代音楽のタッチで、

合唱界にセンセーションを巻き起こしました。

 犯罪や戦争に銃が使われることのない世の中であってほしいものだと思います。

              (2023.7.2)

コラム123「巨樹」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・若葉して巨樹千年を遡(さかのぼ)る    (八代市)山下しげ人

巨樹が若葉の時期を迎えている。

千年の樹齢を迎えている老木だが、千年前と同じ若葉を繁らせている。

千年前の若木のころを回想するかのように。

この句から思い浮かぶ合唱曲は、

・清水脩作曲「大いなる樫の木に」(詞・野上彰)です。

この曲は1966年の第33回NHKコンクールの高校の部の課題曲で、

混声版・女声版・男声版があります。

ふるさとの森にそびえる樫の巨樹の、四季それぞれの姿を歌い、

「われらの希望、われらの理想」と歌い上げます。

高校生が若々しい声で歌い上げる、コンクールの課題曲にぴったりな曲だと思います。

私はこの曲を高校1年生のときに歌いました。

岡崎市民合唱団では、この曲を、2006年の第25回演奏会で、

・「若き日の若き夢」というステージの中で演奏しました。

このステージの名称は「大いなる樫の木に」の歌詞に出てくる言葉です。

年をとっても若い日の情熱と理想は持ち続けたいものです。

                  (2023.6.25)

コラム122「狐」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・銀色の千茅(ちがや)を九本腰にさし吾子は九尾の子狐となる   (奈良市)山添 聖子

チガヤは白銀色の穂が一面に出ているのが美しい。

九尾の狐は中国の伝説上の妖怪で、美女の正体が九尾の狐であったという伝説は日本にもある。

南総里見八犬伝でも登場する妖怪である。

作者の子どもがチガヤの穂がたくさん出ているのを見て、その伝説の妖怪のことを思い出し、

穂を9本腰にさして九尾の狐になりきっている。なかなかかわいい。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・三善晃作曲 童声合唱と語り、ピアノのための「狐のうた」(詞・会田綱雄)です。

「醜聞」と「訓戒」の2曲からなるこの組曲は、童声合唱(普通は「同声合唱」と書く)とあるものの、

普通の児童合唱団ではとても歌えない難曲で、ピアノパートも超絶技巧を駆使しています。

「カリカリ」という擬声語や奇声とも言うべき唐突な高音で強烈な印象を与えます。

コンクールで、相当レベルの高い高校が女声合唱で歌うことが時々あります。

                (2023.6.18)

コラム121「戴冠式」

 今週の朝日歌壇には次の短歌も載っていました。

・戴冠式キャンセルをして来ましたと冗談で笑う入居者愛(いと)し   (横浜市)太田 克宏

高齢者施設に新たな入居者がやってきて、入居のあいさつをした。

英国のチャールズ国王の戴冠式の日に重なったのか、

「私も招待されていたんだけど、キャンセルしてこちらに来ました。」と冗談を言う。

なかなかチャーミングな入居者だ。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・モーツァルト作曲「戴冠式のミサ」K317 です。

作曲が戴冠式のために行われたわけではなく、フランクフルトのフランツ2世の戴冠式で演奏されたことから、のちの人がつけた名称という説があります。

モーツァルトらしい、わかりやすい音楽で、美しく、魅力的なミサ曲です。

モーツァルトが作曲したほかの曲と共通する旋律がいくつか見られます。(「フィガロの結婚」など)

 岡崎市民合唱団では、この曲を、

・第2回演奏会(1980年)と

・第23回演奏会(2003年)の2回演奏しています。

この第23回演奏会のときの会場が、次回、第37回の演奏会で使用する予定の幸田町民会館さくらホールです。あれからもう20年たったのですね。

                 (2023.6.14)

コラム120「淡水魚の漁(いさ)り」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・北琵琶湖のきらめく小江(おえ)に魞(えり)立ちて小船一艘漁(いさ)りする見ゆ (長浜市)磯山 武士

琵琶湖の伝統漁法である魞漁で鮎などの淡水魚をとっている。

魚が障壁に沿って泳いでいく習性を利用して狭い網に入り込んでしまったものをとる。

鮎の産卵期である秋には終えるので、春から夏の風景と言える。初夏の湖面のきらめきが感じられる。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・木下牧子作曲 混声合唱組曲「四万十川」より「川狩」(詞・山下正雄)です。

四万十川の伝統的な漁法である火振り漁を歌っています。

松明(たいまつ)で追い込んで、鮎、アカメ、ごりなどの、四万十川の豊かな恵みを投網でとるのです。

この組曲は、高知県の有志により委嘱されて作曲されたものですが、

・團伊玖磨作曲 混声合唱組曲「筑後川」(詞・丸山豊)

を意識して作られたものだと思います。構成もよく似ています。

「川狩」に対応する曲が第3曲の「銀の魚」です。

岡崎市民合唱団では、第17回演奏会(1996年)でこの組曲「筑後川」を歌いました。

                     (2023.6.11)

コラム119「蛙」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・えほんではかわいかったと本物のヒキガエル見てべそかく娘   (川崎市)小暮 里紗

子供向きの絵本では蛙はかわいく描かれる。

アーノルド・ローベルの「ふたりはともだち」のがまくんとかえるくんみたいに。

カエルさんがいるよと教えられて、喜んで近づいたけれど、

本物のカエル、特にヒキガエルは結構グロテスクな姿をしている。

幼い娘は泣き出してしまった。生々しい現実との出会い。

 蛙で思い浮かぶ合唱曲といえば、

・「かえるの合唱」(ドイツ民謡、岡本敏明・訳詞)です。

これは日本でもっとも有名なカノン(輪唱)でしょう。

誰もが何度も耳にし、また、自分で歌ったことがある歌です。

「かえるのうたが きこえてくるよ・・・」

後半の「ケケケケ ケケケケ」のところを「ケロケロ ケロケロ」などと間違えて歌う人も多いようです。

 ほかに、蛙に関する合唱曲といえば、

・清瀬保二作曲 男声合唱曲「蛇祭り行進」(詩・草野心平)があります。

ピアノ伴奏のついた男声合唱曲で、迫力があり、調性がはっきりしている古典的な名曲です。

草野心平の蛙の詩は男声合唱と相性がよく、南弘明、多田武彦、堀悦子など、

多くの作曲家によって作曲されています。その中でも、

・湯山昭作曲「河童と蛙」

・高島みどり作曲「ごびらっふの独白」

は現代的なセンスで作曲されていて、とてもいい曲です。

             (2023.6.4)

コラム118「野びたき」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・ゆく春や枯れた薄(すすき)の茎に咲く花のようにも野鶲(のびたき)とまる  (広島市)たてだじゅんこ

ノビタキはスズメと同じか少し大きいぐらいの野鳥で、頭と背中が黒く腹が白く、胸が橙~茶色のかわいい鳥です。

春にやってきて秋には南の国に渡っていく夏鳥です。高いヒッという声やジャッジャっという鳴き方をしたりします。

草原の低い木や草にとまっていたりするので、枯れたススキにとまっている様子を作者は花に見立てて詠っています。

 この短歌から思いつく合唱曲は、

・服部公一作曲「野火たきホーッ」(詞・関口義明 補作詞・与田準一)です。

この曲は、1963年の第30回NHKコンクールの中学の部の課題曲として作曲されました。

野鳥のノビタキとは全く関係がなく、野火を焚く「野火たき」です。

「河原の枯れ草 集めてホーッ 野火たきパチパチ 静かに燃えろ・・・」

という、素朴な歌です。この短歌で歌われる夏鳥であるノビタキとは逆に、北へ渡る雁に、

「輪になれ かぎになれ」と歌います。

昔から人々は野鳥の渡りに季節を感じてきたのですね。

                     (2023.5.26)

コラム117「山羊と羊」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・こどもらと呼べば走ってくる山羊とこない羊のいる幼稚園   (横浜市)島巡 陽一

幼稚園で山羊と羊を飼っている。山羊は飼いならされていて、

呼べば餌がもらえるとわかっているので走って寄ってくる。

羊は呼んでも反応せず、無心に遊んでいる。

それはまるで子どもたちの多様な個性を表すようです。

 この歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・兼松正直作曲 組曲「優しき歌より」より「午後に」(詩・立原道造)です。

「さびしい足拍子を踏んで 山羊はしづかに草を食べてゐる」という有名な詩に作曲したもので、

岡崎市民合唱団では、第35回演奏会(2019年)で、組曲全体を演奏しました。

同じ詩で、柴田南雄によって作曲された合唱曲が「優しき歌・第二」にあります。

 また、羊についての合唱曲といえば、

・三善晃作曲 組曲「子どもの季節」より「えらいひと」があります。

子どもの詩による無伴奏の合唱曲で、

「てんのうへいかは あさはように ひつじをさんぽさせている とおもいます」

という無邪気な詩から作られた、次々と転調していくしゃれた合唱曲です。

ほんとは散歩させるのはひつじではなくて執事なのではないかと思いますが。

                       (2023.5.21)

コラム116「遠雷」

 今週の朝日歌壇・俳壇はお休みのようです。先週の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・忽然と水平線は浮き上がりややありて聞く春夜遠雷   (堺市)芝田 義勝

春の夜、海岸で海の方向をぼんやり見ている。

海も空も見分けがつかないほど真っ暗だったのが、急に遠くの低い空が明るくなり、

水平線が浮き上がって見えた。少し間があいてゴロゴロと遠雷が聞こえてきた。

遠くの雷は光ってから鳴るまでに時間がかかる。

春の夜の幻想的な情景が浮かんできます。

 雷から思い浮かぶ合唱曲といえば、

・平井康三郎作曲 交声詩曲「山頂雷雨」(詞・鈴木松子)です。

序奏部で静かな山の情景から遠雷、近づく雷鳴・閃光が表されます。

そして斉唱から始まる合唱で、激しい雷雨によって全山が鳴動するさまが表されます。

激しい雷の描写でクライマックスに達し、嵐が過ぎ去って行きます。

よみがえった平和な山の情景を力強く歌います。

 岡崎市民合唱団では、第27回演奏会(2009年)の

・「雨のアンソロジー」というステージの中でこの曲を歌いました。

このステージの中では、現在練習している

・高田三郎作曲 組曲「水のいのち」より「雨」も歌っています。

 このほかの雷の曲と言えば

・堀内孝雄作曲「冬の稲妻」(詞・谷村新司、編曲・兼松正直)を、

第10回演奏会(1988年)の「ちょっと前の歌謡曲」というステージと、

第30回演奏会(2013年)の「(春夏秋冬)2」というステージで歌いました。

                       (2023.5.14)

コラム115「ともだち」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・この中に生涯の友入学式     (神戸市)仲井 慶舟

子どもの入学式に出席している。たくさんの新入生がいる。

この中に将来子どもの生涯の友となる子がいるのだなあ。

親の願いも入っている句です。

この句から思い浮かぶ合唱曲は、

・渡辺和夫作曲「ともだち」(野上彰作詞、湯山昭編曲)です。

「ともだちはいいな 明るいひなた かぐわしい花のそばにいるようだ・・・」

と三拍子のリズムに乗って歌い、最後にもう一度、

「ともだちは ともだちはいいな」と歌う、ともだち讃歌です。

この曲は1962年の第29回NHKコンクールの中学の部の課題曲として作曲されました。

私にとって、この曲は初めて歌った合唱曲で、思い出深いものです。

私は、1964年、中学2年生のとき、音楽の先生の勧めで合唱部に入りました。

そのとき歌ったのがこの「ともだち」と

・「おはようとおやすみ」(?)(曲名不詳。作詞・作曲者も不明。)です。

「おはようとおやすみ」(?)は自由曲っぽかったのですが、

なぜその年の課題曲でなく2年前の課題曲だったのか不明です。

この年のコンクールには参加しなかったのですが、ひょっとして、先生が間違えていたのかも。

                       (2023.5.7)

コラム114「ほんとうの白さ」

 今日放送された「NHK全国俳句大会」の中で次の句が大賞を受賞しました。

・ほんたうの白になるまで雪しんしん       (北海道)吉田 貴蘭

雪が降っている。降り始めではまだ積もらないし、積もり始めでもまだ汚れた雪で白くない。

どんどん積もり続けて初めて真っ白になる。

まるで、雪自身が真っ白になるのを目指して降るように、静かに降り続ける。

 この句から思い浮かぶ合唱曲が2曲あります。1曲は、

・野田暉行作曲「みぞれ」(詞・伊藤民枝)

この曲は1983年度のNHKコンクールの高校の部の課題曲で、

混声合唱版のほかに女声合唱版と男声合唱版があります。

子どもでもないし大人になりきってもいない思春期の気持ちを、

雪にもなれず雨にも戻れないみぞれにたとえて歌っています。

最後には、「夜が明けてみぞれは雪に変わっていた・・・ほんとうの白さで輝きながら」と歌います。

岡崎市民合唱団では、第21回演奏会(2001年)と、第27回演奏会(2009年)で歌っています。

 もう1曲は、

・高田三郎作曲 混声合唱組曲「心の四季」より「雪の日に」(詩・吉野弘)

この曲は、言わずと知れた合唱曲の名曲の中の名曲です。

雪は己の汚れを隠そうとしてあとからあとから降り続く、と歌います。

岡崎市民合唱団では、第18回演奏会(1997年)と、第33回演奏会(2016年)で歌っています。

                            (2023.4.30)

コラム113「さくらさくら」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・さくら桜歌われる桜描かれる桜撮られる桜詠まれる桜     (東京都)白竜千恵子

この歌は、実際に桜を目の前に見て描写しているというよりは、

桜に対する人々の様々なアプローチを並列して、技巧的に作り上げています。

音楽、美術、写真、文学と、様々な手段で人々は桜をめでてきました。

ひらがな・漢字・漢字・ひらがな・漢字・漢字・ひらがな・漢字・漢字・ひらがな・漢字・漢字・ひらがな・漢字という表記で、

視覚的なリズムを作り出して見せる、技巧的な歌です。

 この短歌から浮かぶ曲はもちろん、

・日本古謡「さくらさくら」

です。山田耕筰編曲の歌曲としてもよく歌われます。

岡崎市民合唱団では、第27回演奏会(2009年)の、

・世界の民謡(兼松正直編曲・構成)

というステージの中で、混声四部合唱で歌いました。

桜の咲く季節には愛唱曲として歌うこともあります。

                  (2023.4.30)

コラム112「白いクレヨン」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・子は描く白クレヨンで白くまを白い紙でもおかまいなしに     (川崎市)小暮 里紗

白い紙に白いクレヨンで描いても絵が見えないのに、

「白くまを描くには白いクレヨンでなければ」と、かたくなに描き続ける子どもの可愛さ。

 この短歌から思い出す合唱曲は、

・男声合唱組曲「白いクレヨン」です。

作曲者がわからなくなってしまいましたが、1970年ごろよく歌われた男声合唱組曲です。

京都産業大学グリークラブや、横浜国立大学グリークラブなどで歌われたと思います。

交通事故で死んでしまった子どものことを、朗読をまじえて歌っています。

同様に交通死亡事故のことを歌った曲に、

・南安雄作曲 こどものための合唱組曲「チコタン」(詞・蓬莱泰三)や、

・南安雄作曲 混声合唱組曲「日曜日~ひとりぼっちの祈り」(詞・蓬莱泰三)

があります。

前に述べた、「山に祈る」や「おかあさんのばか」と同様、

泣かせるような演出が避けられ、演奏されなくなってきています。

                      (2023.4.23)

コラム111「街のパン屋さん」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・この街のパン屋のパンになるという小麦畑にふるはるのあめ    (新潟市)太田千鶴子

小麦畑に春の雨がやさしく降っている。

この畑の小麦は地元のパン屋さんと契約していて、そこで焼かれてパンになるという。

作者はパン好きなのだろう。そのパン屋さんでよくパンを買うのかもしれない。

小麦を成長させる春の雨さえいとおしく思える。

後半の平仮名だけの表記にそれが表れている。

 この短歌から思い出す合唱曲は、

・山下祐加作曲 合唱物語「パン屋さんの匂いでしょ」(詞・みなづきみのり)です。

町のパン屋さんのストーリーが、パンにまつわる7つの小さな曲で構成されています。

クロワッサン、サンドイッチ、あんパン、クロックムッシュなど、いろいろなパンが登場します。

親しみやすいメロディで、合唱としての面白さも味わえます。

ステージ上の演出が考えられていますが、普通の合唱組曲としての演奏も可能です。

こんな肩の凝らない合唱曲も楽しいと思います。

                 (2023.4.16)

コラム110「揚げひばり」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・揚げひばりわが聴力と視力をば計れるごとく点となりたり    (下野市)若島 安子

ひばりが鳴きながら高く高く揚がっていく。

高く揚がるにつれて声が小さくなって、年をとって聴力に自信がなくなってきた自分には聞きづらくなってきた。

また視力にも不安があるが、それを試すように、雲雀が高く揚がって、点のように小さく、見づらくなってきた。

のどかな揚げひばりも、若いころとは違った見方・聞き方をするようになった。

 この短歌から思い出す合唱曲は、

・メンデルスゾーン作曲「おおひばり」(訳詞・高野辰之)です。

ひばりが高らかに歌う様子を、女声、男声が交互にメロディを歌い、オブリガートも美しく歌われます。

影ひとつないメンデルスゾーンのメロディの美しさがよく表れた歌です。

この歌は私にとって個人的に思い入れの深い歌です。小さいころから母が歌っているのを聴いていました。

母はソプラノパートだけを歌っていたので、曲の全体像がわからないながらも、いい歌だと思っていました。

母は独身のころ、NHKの(地方の)合唱団に入っていて、そのとき歌った曲をよく口ずさんでいました。

ほかに、

・J.シュトラウス作曲「美しく青きドナウ」もよく歌っていました。

 岡崎市民合唱団では、第29回演奏会(2012年)で、

・ハイドン作曲「ニコライミサ」を歌ったとき、アンコールで、

・ハイドン作曲 弦楽四重奏曲「ひばり」

の第1楽章のメロディに歌詞をつけて、弦楽合奏付きの混声四部合唱で歌いました。

                        (2023.4.9)

コラム109「卒業す」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・もの思ふ少女となりて卒業す    (長野市)縣 展子

 孫娘が小学校を卒業したのだろうか。

入学したときは、あどけない子だったが、卒業する今は、理性も感情も立派に育ち、物事を理性的に考え、相手の心を思いやって判断できる少女に育ってうれしい。

そんな、祖母としての思いがあふれている句です。(私の勝手な推測です。)

 この俳句から思い浮かぶ合唱曲は、

・坂本浩美作曲「旅立ちの日に」(詞・小嶋登)です。

埼玉県の中学校の音楽の先生だった坂本浩美さんが、卒業する生徒たちに記念になるものをと思い立ち、

同じ中学の校長先生だった小嶋登氏に詞を書いてもらって、作曲してできた曲です。

混声3部合唱に編曲されたものが出版されて、全国の中学校で卒業ソングとして大人気となりました。

詞がわかりやすいので、小学校の卒業ソングとして、近年では人気が高いようです。

                        (2023.4.2)

コラム108「銃持つ兵士」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・もう一度楽器手にとる日が来れば愛を唄ふと銃持つ兵士   (さいたま市)齋藤 紀子

ギターを弾きながら愛の歌を歌っていた若者が、銃を手に戦場に向かう。

平和が訪れたら銃を捨てて、もう一度楽器を手に愛の歌を歌いたいと願う。

そんな平和な日が早く来ればいいと強く願います。

 この短歌から思い出す合唱曲は

・荻久保和明作曲 「IN TERRA PAX~地に平和を」より

 「OH MY SOLDIER」(詞・鶴見正夫)です。

戦場に向かう兵士のいのちの尊さとはかなさを歌っています。

混声3部合唱で、中学生によく歌われています。

                 (2023.3.26)

コラム107「春はあけぼの」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・春は曙(あけぼの)鳥栖駅は鶏そぼろ    (朝倉市)深町 明

「春はあけぼの」はもちろん有名な枕草子の冒頭の言葉、

春は夜明けの時間帯が趣があるということです。

「鳥栖駅の鶏そぼろ」は鳥栖駅の名物、立ち食いの「かしわうどん」のことだそうです。

この二つの取り合わせの面白さは、

朝早く鳥栖駅で立ち食いの「かしわうどん」を食べている情景を表しているだけでなく、

選者の言っている七五五のリズムの面白さや、

「ボノ」と「ボロ」が微妙に韻を踏んでいるように感じられることにもあります。

 この俳句から思いつく合唱曲は、

・千原英喜作曲 混声合唱のための楽興の時「枕草子」より

5曲「春はあけぼの」(詞・清少納言)です。

枕草子の有名な一節にアカペラの混声合唱で日本的な響きとリズムをつけていて面白い曲です。

 岡崎市民合唱団では、先日の演奏会で、同じ千原英喜作曲の

・混声合唱とピアノのための組曲「みやこわすれ」(詞・野呂 昶)

を演奏しました。

                      (2023.3.19

コラム106「凧」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・連凧の伸び行く先に未来あり     (下関市)野崎 薫

子どもたちがみんなで連凧を上げている。

どんどん上がって行って、もう上の方は霞んで見えないくらいだ。

どこまでも果てなく続く、子どもたちの未来を示しているようだ。

 この句から思い浮かぶ合唱曲は、

・高田三郎作曲 男声合唱組曲「残照」より「凧」(詩・井上 靖)

この曲は高田三郎の歌曲を、その弟子の今井邦男が男声合唱に編曲したものです。(混声版もあります。)

歌っているのは、連凧ではなく、一人であげている一つの凧です。

井上靖は凧あげが苦手だったらしく、失敗して落ちてしまった凧の話がよく出てきます。

この曲でも、落ちてしまった凧を象徴的にイメージした詩がつくられ、

それを高田三郎が「高田節」というべき深みのある重いメロディで歌い上げています。

彼の作曲した

・組曲「心の四季」より「雪の日に」(詞・吉野弘)や

・組曲「ひたすらな道」より「弦(いと)」(詞・高野喜久雄)

などに通じる高田節の曲です。

 岡崎市民合唱団では、高田節の原点である

・組曲「水のいのち」(詞・高野喜久雄)

の練習を始めています。

                      (2023.3.12

コラム105「時間の行方」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・閉店の三島時計屋その壁に掛けられていた時間の行方   (出雲市)塩田 直也

町の時計屋さんが閉店になった。

壁に掛けられていたたくさんの時計。

その一つ一つが刻んでいたそれぞれの時の流れ。

たくさんの時計が消えてしまったことによって、たくさんの時の流れもどこかへ消えてしまった。

地点一つ一つに異なる時間の流れがあるという、相対性理論を思わせる発想の短歌です。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・若松正司作曲「時間」(作詞・前田祐美子)です。

この曲は1983年の第50回NHKコンクールの小学校の部の課題曲です。

「時間て面白い」「時間て不思議だな」「もう〈さっき〉は行っちゃった」

というような歌詞で、時の流れの不思議さを歌います。

16ビートの、シンコペーションだらけのリズムで、

当時の小学生にはやや難しい「乗り」が求められる曲です。

この年のNHKコンクールの課題曲は、中学の部が

・中田喜直作曲「心の馬」(作詞・三石真弓)、

高校の部が、

・野田暉行作曲「みぞれ」(作詞・伊藤民江)

で、いずれも抽象的・象徴的な難しい内容の曲となっていました。

岡崎市民合唱団では、2009年の第27回演奏会で、

・「雨のアンソロジー」 というアラカルトステージの中で、この

・「みぞれ」 を歌いました。

大人にもなれず、子どもにも戻れない思春期の中途半端な心情を、

雪にもなれず、雨にも戻れない「みぞれ」に託した歌です。

ちなみに、岡崎市民合唱団では、この「雨のアンソロジー」の中で歌った、

・高田三郎作曲「水のいのち」より「雨」

を、今回ちょうど練習し始めたところです。

次回の演奏会では、組曲「水のいのち」の全曲を演奏する予定です。

                             (2023.3.5

コラム104「羊が一匹・・・」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・眠られぬ夜は羊をさがせども戦車が一台戦車が二台    (大和市)澤田 睦子

眠れない夜には「羊が一匹・羊が二匹・・・」と数えると眠りにつけるというけれど、

ウクライナのことが気になって眠れない。

戦車が一台・戦車が二台・・・なんて、悪夢だ。

戦争へのおそれの強さを歌っている短歌です。

 この短歌から思いつく合唱曲は、

・コダーイ作曲「天使と羊飼い」(訳詞・大熊進子)です。

ハンガリーの児童合唱団のためにマジャール語(ハンガリー語)で書かれた名曲です。

ハンガリーの民謡の旋律が多声部の美しい合唱を築き、

後半は独唱の「Gloria in excelsis」と合唱の掛け合いで盛り上がります。

日本では、1986年のNHKコンクールの全国大会で八戸市立根城中学が自由曲として歌い、

審査員11人全員が1位をつけて金賞を受賞しました。

そこから全国の多くの中学や児童合唱団で歌われるようになりました。

最近ではマジャール語で歌う団体も増えてきました。

キリストが生れる晩、ベツレヘムでは羊飼いたちが馬小屋に行ってしまったので、

羊の番がいなくなってしまう。オオカミが来たらどうしよう。

天使に羊の番をお願いしよう。というような内容の曲です。

 ウクライナでも羊を襲うオオカミに対して、天使が守ってくれるといいのですが・・・。

                                     (2023.2.26

コラム103「当たり前が幸せ」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・夫の手の皴の深さに気がつきぬ湯のみを受け取る人のいる幸  (佐世保市)近藤 福代

湯のみにお茶を注ぎ、夫に手渡すとき、その手の皴が深いのに気がついた。

夫も年をとったなあ。けれども、二人とも年老いるまで長生きできたことは幸せなことだなあ。

日常のふとした瞬間に感じる幸せを歌っています。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・小田美樹作曲「群青」(作詞・南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生・構成・小田美樹)です。

「当たり前が幸せと知った」という歌詞が曲の中心にあります。

福島県の浜通りにある小高中学校は、東日本大震災と津波の被害を受け、

生徒から死者が出て、校舎も壊れ、生徒たちは校区外にばらばらに避難しました。

半年後、仮設校舎で少数の生徒で再開しましたが、生徒たちはショックで歌が歌えなくなっていました。

同校の教師であった小田美樹さんが、生徒たちの言葉をもとにこの「群青」という曲を作り、

生徒たちと励まし合って練習し、ついに卒業式の学年合唱で歌うことができました。

「群青」という言葉はこの学校の校歌にある言葉で、学校を象徴する言葉だということです。

のちに復興支援コンサートでこの曲が歌われ、大きな反響を呼びました。

これを聴いた信長貴富が新たに合唱曲に編曲し、出版され、全国で歌われるようになりました。

とりわけ、中学校の卒業ソングとして現在でもよく歌われています。

                          (2023.2.19)

コラム102「演奏会」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・拍手しか聞こえなかった館内に戻り始めた人間の声   (八尾市)水野 一也

コロナ禍にあって、演奏会を開くこともままならず、

開いても「ブラボー」などと声をあげることはできず、拍手しかできなかったのが、

ようやく元の状態に戻り始め、聴衆から声が聞かれるようになったという短歌です。

 岡崎市民合唱団も、コロナ禍の中、長い活動停止の期間を経て、練習を再開したのち、

本日ようやく第36回演奏会を開くことができました。

演奏会でマスクを着けるかどうかを迷った末、

5日前の練習後、マスクを外すことを基本に決めました。

(個人の判断でつけることもありとしました。)

そして、今日のゲネプロまではマスクを着用したまま練習し、

ゲネプロの最後のアンコールの練習のとき、はじめてマスクを外して声を出しました。

そのとき、急に声が豊かになったと感じられ、すがすがしい解放感に満たされました。

 今日の演奏会を開催するために各方面の多くの方々にご努力いただき、

誠にありがとうございました。おかげさまでよい演奏会となりました。

これから岡崎市民合唱団は次の一歩を踏み出します。

今後ともよろしくお願いいたします。

                    (2023.2.12

コラム101「思春期」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・くじら座の尾ほどの拗(こじ)れ保ちつつ思春期の子はドアの向こうへ   (奈良市)山添 聖子

くじら座は秋に南の空に見られる大きな星座で、

元はギリシャ神話に出てくる、クジラというより海の怪獣です。

ギリシャ神話の挿絵にはしっぽがねじ曲がった怪獣の絵がよく出てきます。

作者は思春期にさしかかった子どもとの距離に苦慮しているのでしょう。

捨て台詞を残して自分の部屋に入って行った子どもに

ため息をつきながら見守っています。

作者は、朝日歌壇常連の山添姉弟の母親。思春期の子は姉の葵さんでしょう。

いずれ、母親とのことを歌った葵さんの短歌も見られることでしょう。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は

・新実徳英作曲 混声合唱曲「やわらかいいのち~

 思春期心身症と呼ばれる少年少女たちに~」(谷川俊太郎作詞)です。

傷つきやすい少年少女たちの心のうちを歌い、

あなたは愛されると励ます心のこもった5編の詩から、

抜粋して取り出して作曲されています。

神経質に半音がぶつかったまま進行していくピアノのパッセージから始まり、

平易なメロディーの合間にもこの神経質なパッセージが合唱によって歌われます。

心身症の苦悩を表しています。

この詩は多くの作曲家に感動を与えたので、ほかにもいくつかの合唱曲が作曲されています。

・松本望

・松下耕

・三善晃

・寺島陸也

の、同名の合唱作品がよく歌われています。

                       (2023.2.5)

コラム100「入口と出口」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・入口を君は探していたんだね僕は出口を探していたんだ   (長崎市)牧野 弘志

 現状を打開しようと模索する中で、とにかくこの苦境を切り抜けること(出口)だけを考えていた「僕」に対して、

「君」は新しい世界への入口を探していたことに気がついた。

現状の否定だけでなく、新しい地平の展望をめざす、建設的な視点の大切さを感じます。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・筒井雅子作詞・作曲 組曲「時の女神」より

 「あなたへ~旅立ちに寄せるメッセージ」

です。混声四部、混声三部、女声三部、同声二部の版があるようです。

中学の卒業ソングとしてよく歌われるようです。

「煮えたぎるような憎しみの出口」という歌詞がありますが、

卒業して旅立って行く若い人たちが、新しい世界で生き生きと活躍できる入口を見つけてほしいものです。

                          (2023.1.29)

コラム99「魔女」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・杖もてど魔女にもなれず月凍る        (岡崎市)金丸 智子

空を見れば冷たい冬の月がかかっている。

私は杖をつくような年になってしまったけれど、

魔女になるような特殊な能力を持ったわけでもない。

月の光は冷たく照らしている。

老齢を迎えた女性のため息を感じさせる句です。

この句から思い浮かぶ合唱曲は

・西村翼(たすく)編曲「魔女の宅急便メドレー」(女声3部)

 ①あこがれのまち ②めぐる季節 ③鳥になった私 ④やさしさに包まれたなら

 (①②③久石譲作曲 ④荒井由実作曲)

です。このほか、

・「魔女の宅急便」のオープニング曲の「ルージュの伝言」(荒井由実作曲)

も、いろいろなアレンジャーによって合唱に編曲されてよく歌われます。

                  (2023.1.22

コラム98「大地を讃える」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・父祖に謝し大地を讃へ大根抜く      (茅ヶ崎市)清水 呑舟

大地に足を踏ん張って大根を抜く。この豊かな畑を残してくれた先祖に感謝し、

豊かな実りを与えてくれた大地を素晴らしいと讃え、力いっぱい大根を引き抜く。

よく肥えた土によく育った、太い大根が浮かびます。大地の恵みは素晴らしい。

 この句から思い出される合唱曲は、

・佐藤眞作曲 混声合唱とオーケストラのためのカンタータ「土の歌」より

「大地讃頌」(作詞・大木惇夫)

です。元々混声合唱とテノールソロとオーケストラのための曲ですが、

ピアノ伴奏版が作られ、多くの合唱団で歌われるようになりました。

また、第7曲の「大地讃頌」のみが中学や高校の学校行事で歌われることも多く、

合唱曲としては日本で最も有名な曲のひとつです。

 岡崎市民合唱団では、第15回演奏会(1995年)でこの組曲を歌いました。

また、私は、高校の合唱部を指導しているとき、「岡崎第九を歌う会」の男声有志の賛助出演を得て、

合唱部と、同じ高校の吹奏楽部とともにこの組曲を演奏するのを指揮したことがあります。

こんな短歌もあります。

・ああ犬だ細くて巻き毛で大きくて 大地讃頌思わず歌う    (山川藍『いらっしゃい』)

                      (2023.1.15)

コラム97「都会」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・またひとつ高層ビルが建ち上がり街はますます無口になりぬ     (川崎市)新井美千代

都会の町並みにはにぎやかな人々の生活の声があふれていますが、

高層ビルには人々のつながりが断たれ、無機質な静寂が街を包むような気がします。

次々と高層ビルが建っていく都会の不安をこの歌から感じます。

 この歌から思い出す合唱曲は

・中田喜直作曲 混声合唱とピアノのための組曲「都会」(作詞・岩谷時子)

です。この曲は中田喜直の混声合唱曲の名曲で、都会のビル群に対して、どちらかというと、

青い鳥を探すというように、希望を持って臨んでいるスタンスです。

岡崎市民合唱団ではこの曲を第24回演奏会(2005年)で演奏したことがあります。

                        (2023.1.8)

コラム96「謹賀新年」

 コラムをお読みいただいている皆様、あけましておめでとうございます。

年の初めに、合唱をテーマとした短歌を載せてみます。

・合唱団の、われの知らざる歌のときの太き輪ゴムのやうなくちびる   (渡辺松男「牧野植物園」)

合唱団の人が歌うときの口のかたちが作者には印象深かったようです。

特に「オ」や「ウ」の口のかたちは話すときとだいぶ違うからだと思います。

以前のコラムで「鯉の口」「せんぷん(本当はせっぷん(接吻))の口」と書いた形にするからです。

・合唱の声が次第にまとまって誰の声でもない声となる               (武藤義哉「春の幾何学」)

合唱の声は、一人一人の声の集合体ではなく、パートとしてのまとまった声に聞こえるのが良いのです。

合唱を聴いていて、「あ、〇〇さんが歌っている」とわかってしまうのは、

合唱としてまだこなれていないのです。

合唱団員一人一人の声が溶け合い、一つのパートの響きに聞こえるように練習を重ねていきたいと思います。

                           (2023.1.3)

コラム95「聞く」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・聞く力聞いてる振りをする力聞くだけ聞いて忘れる力     (市川市)末永 正義

権力者が聞く力をアピールしていても何も聞き取っていないことへの皮肉を込めた歌です。

このところ特に横暴が目に余るようになってきました。

「聞く」とは話し相手に対する敬意があるべきものなのですが。

 この歌から思い出す合唱曲は、

・新実徳英作曲「聞こえる」(作詞・岩間芳樹)

です。この曲は1991年の第58NHK全国学校音楽コンクール高校の部の課題曲です。

ルーマニア革命(そういえば、チャウシェスクが処刑されたのが1989年のこの日、1225日でした。)、

海洋汚染、ベルリンの壁崩壊、森林破壊といった、当時世界の各地で起こっていた社会問題に対して、

何もできない若者の無力感を歌っています。

曲も力強く盛り上がります。

最後が「教えてください」という受け身のかたちで終わるのが残念な気がしますが、

Nコンの課題曲としては珍しく社会問題を取り上げている名曲だと思います。

私はこの曲を課題曲として高校の合唱部の指揮をし、Nコンに参加しました。

若者に限らす、何ができるかを自分で模索して行動していくことができればと思います。

聞いているふりをして何も聞き入れない権力者に対しても。

                      (2022.12.25

コラム94「ありがとう」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・ボケが来て言葉忘れていたならば「ありがとう」を吾に教えて   (高槻市)梅原三枝子

認知機能が衰えていろいろな言葉を忘れてしまっても、

感謝の言葉「ありがとう」だけは忘れたくない、

感謝の気持ちを忘れないという宣言のような歌です。

 合唱曲で「ありがとう」といえば、

1992年の第59回NHK全国学校音楽コンクールの高校の部の課題曲

・鈴木輝明作曲「ありがとう」(高野喜久雄・作詩)

があります。私はこの曲を課題曲として高校の合唱部の指揮をし、Nコンに参加しました。

奇跡のような恵みの大地、父の父・母の母からつながる命・眼差し、

この海とこの大地のすべてに、繰り返し「ありがとう」と歌います。

いろいろなことがわからなくなっても、感謝の心だけは忘れたくないものです。

                     (2022.12.18

コラム93「狐と狸」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・人間にそれはないよと言いたいよね「狐の狡猾 狸の迂闊」   (仙台市)二瓶 真

童話の世界では狐はいつもずるい役、狸はいつも間抜けの役を演じることになるのだけれど、

狐や狸の立場になれば、そう言ってほしくないとなります。

「狡猾」と「迂闊」が韻を踏んでいて面白い歌になっています。

この歌から思いつく合唱曲といえば、

・中田喜直作曲 合唱曲集「かざぐるま」より「もんく」(小林純一作詞)

です。キツネとロバが、人間が勝手に作ったキャラクターの偏見にもんくを言って、

決議をし、署名運動をし、本屋に抗議に行くという歌詞です。

私はこの曲をマインクライネルコールという合唱団で歌ったことがあります。

当時の指揮者の松山氏と金原氏が、動物が抗議する身振りで指揮していたのを思い出します。

うたのおねえさんが歌う童謡としてもよく歌われる歌です。

                     (2022.12.11

コラム92「蝶」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・アゲハチョウのむしゃむしゃ五郎のえさがないレモンの葉っぱをだれかください (奈良市)山添 聡介

常連の聡介君の歌です。「むしゃむしゃ五郎」は飼っているアゲハの幼虫に聡介君が付けた名前だと思われます。

アゲハの幼虫は柑橘類の葉っぱしか食べないので、足りなくなった葉っぱを求めているのです。

今週の朝日歌壇には聡介君の姉・葵さんと母・聖子さんの歌も載っていました。

・金色の折り紙二枚でお願いをきいてくれますとなりの男子    (奈良市)山添 葵

・子に髪を洗ってもらう言うことをよくきく大型犬の気持ちで   (奈良市)山添 聖子

 蝶から思い浮かぶ合唱曲といえば、

・中田喜直作曲 女声合唱組曲「蝶」(伊藤海彦・作詩)

です。これは女声合唱の名曲のひとつで、コンクールでは3曲目の「灰色の雨」がよく歌われます。

私にとっては、この3曲目とともに、5曲目の「よみがえる光」も印象深いものがあります。

1987年に愛知県で開催された全国総合文化祭(会場は名古屋市民会館)で、

大妻女子大中野高校の歌った演奏が印象的でした。

(大妻女子大中野は今年、Nコン全国大会で、中学・高校のダブル金賞で話題になりました。)

雨の中、じっと耐えている蝶。長い冬を耐え忍んだ後、春を迎えて、

のびのび飛び立つ蝶を、この組曲は生き生きと歌っています。

聡介君の歌のように、ぬくぬくとした室内で育てられている蝶もありますが、

健気に羽ばたく蝶の姿は人の心をとらえるものがあります。

                        (2022.12.4)

コラム91「紅葉」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・この奥に集落一つ渓紅葉           (高知市)和田 和子

山深いところに谷川が流れていて紅葉が美しい。この谷のさらに上流には集落がひとつだけある。

渓紅葉の美しさとともに、上流に集落がひとつだけしかないという谷の奥深さと、

一つだけれどまだ上流にあるという集落の存在感も感じられる句です。

紅葉の歌と言えば

・岡野貞一作曲 唱歌「紅葉」(高野辰之作詞)

が思い浮かびます。文部省唱歌として小学校の音楽の教科書に載っていて、だれもが歌ったことのある曲です。

岡崎市民合唱団でも、今月、愛唱歌として歌っています。過去の演奏会でも、第16回演奏会(1995)で、

・源田俊一郎編曲「ふるさとの四季」

の中の1曲として歌いました。

また、今日の朝日歌壇には次の短歌も載っていました。

・草紅葉雑木紅葉の裾野曳く池塘を囲むトロイデ火山  (小城市)福地 由親

日本には様々な形の紅葉を楽しめるところがあります。(この歌の詠う地形がどこにあるのかわかりませんが・・・。)

                   (2022.11.27

コラム90「コスモスの花」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・頼りなくはたまた自在に揺れている見る時々のコスモスの花    (中央市)前田 良一

コスモスが風に揺れている。風に吹かれるままに頼りなげに揺られているように見えるが、

一方、自分の意志で揺れて自由に楽しんでいるようにも見える。

コスモスの花の形と動きと色彩が目に浮かぶいい歌です。

 コスモスと言えば、現在、岡崎市民合唱団で練習している、

・横山潤子編曲集「時代」より第4曲「秋桜」(さだまさし作詞・作曲)

です。嫁ぐ日が近づいた娘と母の心情がきめ細かく描かれた名曲を、

横山潤子の大胆なアレンジで歌います。

ピアノも技巧を凝らしていますが、合唱もかなり難しいリズムが使われています。

来年2月の演奏会に向けてしっかり練習していこうと思います。

                       (2022.11.20)

コラム89「マスクして歌う」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・マスクして歌ふ音楽コンクール表情見えぬ歌声を聴く     (茨城県)渡辺たかし

このコンクールはNコンと呼ばれる、NHK全国学校音楽コンクールだと思います。

テレビでも見ましたが、マスク着用が義務付けられ、マスクを通しての歌声は聞き取りづらく、

表現の幅が抑えられている印象を受けました。

全日本合唱連盟主催の合唱コンクールでは、

「歌唱時に前後2メートルと左右1メートルの間隔を取る場合は

マスクを外してもよい」「舞台袖や客席での会話はしない」

といったガイドラインをもとにコンクールを実施しています。

コロナは怖いし、歌は聞かせたいし、悩ましいところです。

 岡崎市民合唱団も、来年2月の演奏会をどうするか苦慮しているところです。

マスクなしでみんなが伸び伸びと歌うことができる日が一日でも早く来ることを願っています。

                         (2022.11.13

コラム88「白鳥」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・あかときの闇の中から白鳥の鳴き声が降る 第一陣だ      (酒田市)富田 光子

夜のまだ明けきらない薄闇の中で、空の上から白鳥の群の声が聞こえてくる。

今年初めて白鳥がやってきた。「第一陣だ」がそのまま作者の言葉だと思います。

これから次々と白鳥がやってくる季節を迎えたのです。

白鳥を歌った合唱曲といえば、

・高田三郎作曲 混声合唱組曲「ひたすらな道」より「白鳥」(詞・高野喜久雄)

です。この曲については、2月にコラムで書きました。いい曲なのですが、歌うことがなくなって残念です。

その代わり、岡崎市民合唱団では、次々回の演奏会で、

・高田三郎作曲 混声合唱組曲「水のいのち」

を歌うことになりました。高田三郎独特の奥深い味わいを出したいと思います。

                  (2022.11.6

コラム87「モーツァルト」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・モーツァルト続けて5,6曲弾けば見えない羽が背中に生える     (富山市)松田わこ

松田わこさんは朝日歌壇常連の松田姉妹の妹です。

ピアノでモーツァルトのピアノ曲を5,6曲弾けば、背中に羽が生えて気がするのです。

軽やかなモーツァルトならでは。ベートーヴェンやショパンでは決して羽は生えません。

わこさんがモーツァルトを詠んだ歌はこんなものもあります。

・美術館でモーツアルトを弾きましたはちみつ色の優しい拍手(2010)

・この雪を降らせる雲が弾いているトルコ行進曲が聞こえる(2012)

・ジーパンで自転車をこぐモーツァルト見かけたソナタ九番の中(2014

・最近の私をなぜかひきつける明るいだけじゃないモーツァルト(2016

・憧れの十五歳にも慣れてきてモーツァルトの「すみれ」を歌う(2016

今日の朝日歌壇には、姉の梨子さんの歌も載っていました。

・写真映えするとろふわのオムライス食べつつ食べたい母のオムライス (富山市)松田梨子

岡崎市民合唱団では何度もモーツァルトの合唱曲を歌ってきました。

 ・「戴冠式ミサ・ハ長調」K317     第2回、第23

 ・「雀のミサ・ハ長調」 K220     第8回、第28

 ・「オルガンソロ・ミサ・ハ長調」K259 第12

 ・「レクィエム・ニ短調」K626     第13回、第34

 ・「小クレドミサ・ヘ長調」K192     第16回、第33

 ・「シュパウルミサ・ハ長調」K258   第17

 ・「荘厳ミサ・ハ長調」 K337     第32

 ・「ヴェスペレ・ハ長調」K339     第35

わこさんが56曲続けて弾いても飽きないように、

私たちも何度歌っても飽きないのがモーツァルトの良さだと言えます。

                (2022.10.30

コラム86「宝石」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・秋の灯に宝石の威のペルシャ猫        (伊万里市)萩原 豊彦

宝石は気位の高そうなペルシャ猫の比喩だと思います。

猫が本当に宝石を身に着けていたら、それこそ猫に小判です。

秋の灯の下でペルシャ猫がつんとすましているようすを、宝石のように威張っているみたいだというのです。

この句から思い出す合唱曲は、

・湯山昭作曲 女声合唱とピアノのための組曲「葡萄の歌」より「宝石」(詞・関根栄一)

です。博物館の一室にある宝石から、「剣の響きと血の匂い」、

「富の力と権力の争い」といったドラマを展開し、

また博物館の一室に戻るという構成を持つ、ドラマチックな合唱曲です。

ここのところ、この組曲からの曲の紹介が続いていますが、

たまたまそんな俳句が、しかもいい句があったからで、全くの偶然です。

               (2022.10.23

コラム85「木の実」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・ゆくりなく座して木の実に打たれけり        (東京都)望月 清彦

木蔭にぼうっと座っていたら不意に木の実が降ってきて、肩に当たった。

思いがけなく降ってきた木の実の小さな衝撃を「ゆくりなく」という表現がぴったりです。

この俳句から思い出す合唱曲は、

・名田綾子編曲 混声合唱とピアノのための「フランス歌めぐり」より

  2.「小さな木の実」(ビゼー作曲、海野洋司訳詞)

です。この曲は、「NHKみんなのうた」で歌われて親しまれている歌ですが、

元は、ビゼーの歌劇「美しいパースの娘」の中で歌われる「セレナード」です。

名田氏の編曲で、合唱曲になっているのですが、そのピアノパートが、

ビゼーの「カルメン」の中の「ハバネラ」を奏でていて、面白い構成になっています。

この曲集の1曲目の「王の行進」は、有名な組曲「アルルの女」の「ファランドール」のメロディですが、

この曲にもピアノパートにラヴェルの「ボレロ」を配して面白い構成になっています。

フランスつながりということでしょう。

取り合わせの妙という楽しさがあります。

                    (2022.10.16

コラム84「残る月」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・落款の薄れたるごと残る月        (茨木市)瀬川 幸子

「残る月」とは夜が明けてもまだ空に残っている月で、有明の月ともいいます。

青い空に薄く白い月が残っているのを薄れた落款のようだとたとえています。うまい比喩だと思います。

この句から思い出す合唱曲は、

・湯山昭作曲 女声合唱とピアノのための組曲「葡萄の歌」より「月にはなしかける」(詞・関根栄一)

です。「月から見た地球は 青い桃の実のようにみえるでしょう」と歌います。

ニュアンスに富み、変ニ長調→変ロ長調→ロ長調→変ニ長調と次々に転調して、面白く、愛らしい女声合唱曲です。

                        (2022.10.9

コラム83「葡萄」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・押し合いに凹む粒あり葡萄園          (行方市)前野平八郎

葡萄の房をよく見ると、一粒ずつは全き球形ではなく、粒同士が押し合いしているので凹んでいる。

歪にしか成長できない競争社会での人間を思わせる。

 この句から思い出す合唱曲は、

・湯山昭作曲 女声合唱とピアノのための組曲「葡萄の歌」より「葡萄の歌」(詞・関根栄一)

です。ガラスの器に盛られたブドウの房から空想が広がってゆき、

マスカットやデラウェアと言った品種の名前や、デュオニソス(バッカス)が登場したりします。

女声合唱の輝きとピアノの高度のテクニックで彩られた名曲です。

私はこの曲を高校の合唱部で指揮したことがあります。

この曲の中では葡萄の粒は押し合って凹んでいるというのではなく、

人々が互いに寄り合って暮らしているようだという表現になっています。

               (2022.10.2)

コラム82「観劇の余韻」

 今日の朝日俳壇には次の俳句が載っていました。

・観劇の余韻に歩く夜の秋        (岩国市)冨田 裕明

さっきまで見ていた劇の余韻に浸りながらゆっくり歩いてゆく。

芸術の秋にふさわしい味わい深い句です。

この句から思い出す合唱曲は、

・大中恩作曲 女声合唱組曲「愛の風船」より「音楽会のあと」(作詞・中村千栄子)

です。劇ではなくて音楽会ですが、

「音楽会のあとは 何にもおしゃべりしたくない」

と、余韻に浸る感じがぴったりです。

秋の夜長は合唱曲に浸りながら過ごすのもすてきです。

                       (2022.9.25)

コラム81「とかげ」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・自力にて切れば痛くはないのだが切られて痛い蜥蜴(とかげ)の尻尾      (金沢市)前川 久宜

とかげの仲間の一部は外敵に襲われたりしたときのショックで尻尾を切り離し、

尻尾がピクピク動いているのに敵が気を取られているすきに逃げるという特技を持っています。

これを自切(じせつ)といいます。切れた尻尾はまた生えてくることが多いようです。

この歌の作者は、とかげの気持ちになって、自分で切るのは痛くないけど、

誰かにむりやり切られるのは痛いだろうと言っています。

人間の世界でも、会社などの組織で不都合なことが起きたとき、

弱い立場の人間が責任をとって辞めさせられることを「とかげの尻尾切り」ということがあります。

責任を感じて自分から辞めるのはつらくないけど、むりやり辞めさせられるのはつらいと思います。

この歌の言いたいのはこちらの方(人間の世界の話)かもしれません。

 とかげで思い出す合唱曲は、

・兼松正直作曲 混声合唱と児童合唱とピアノのための音楽劇「ねずみのものがたり」より

  「とかげさん とかげさん」(詞・兼松正直)

です。不思議な力を持った魔法のとかげに呼びかける歌です。

このほかには

・ティシュハウザー作曲 「ナゾベーム」より「雌ヤギとトカゲ」

という曲もありますが、私は聴いたことがありません。

少し前に会津混声合唱団がコンクールの自由曲に取り上げていました。

(プログラムで見ただけです。)

ティシュハウザーの曲は「ブレーメンの音楽隊」しか知りませんが、

「ナゾベーム」は意味不明の詞でできており、面白そうな曲だと思います。

                             (2022.9.18)

コラム80「貝と貝殻」

 今日の朝日俳壇には次の句が載っていました。

・貝殻に貝より長き月日あり        (横浜市)志摩 光風

貝の寿命は数年から十数年といったところでしょうか。貝が死んでも貝殻は長い年月その姿を残します。

化石にでもなれば何万年もその姿をとどめることになります。

無季の俳句ですが、その示唆することは深いものがあります。

人が死んで残るのは業績、思い出、悪名、・・・。

 貝と貝殻で思い出す合唱曲には、

・平吉毅州作曲 混声合唱のためのスケッチ「夢」より「帆立貝」(詞・阪田寛夫)

があります。昭和50年ごろ、岡崎高校がNHKコンクールで自由曲として歌ったのを聴いて、

いい曲だなあと思った覚えがあります。「ハッチを開け ハッチを開け」というフレーズが印象的でした。

このほかに、岡崎市民合唱団が第29回演奏会(2012年)で演奏した、

・兼松正直作曲 混声合唱組曲「若き日の歌」より「ほらの貝」(詞・島木赤彦)

もあります。

                        (2022.9.11)

コラム79「原爆忌」

 今日の朝日俳壇には次の句が載っていました。

・語り部の間合ひは深く原爆忌        (西東京市)岡崎 実

8月は朝日歌壇も俳壇も終戦記念日や原爆忌に関する作品が多く寄せられます。

(今日掲載されたものは8月中旬に投稿されたものだと思います。)

この句の心情は、次のようなものでしょう。

原爆忌に被爆者の体験談を聞く。

語り部は高齢化し、また、語る内容が深刻で、話の間合いが長く、沈黙は深くなる。

 原爆で思い出す合唱曲と言えば、

・林 光作曲 混声合唱組曲「原爆小景」(詩・原 民喜)

があります。この曲は、1曲目の「水ヲ下サイ」だけが1958年に作曲され、

時を経て、1971年に全3曲の組曲が完成しました。

私は学生時代に「水ヲ下サイ」を歌った経験があります。

原民喜の詩の壮絶な迫力を、調性感が希薄で、無調に近い旋律・和声で歌い、迫ってくる音楽です。

また、空襲で死んだ女の子の死を悼む合唱曲として、

・佐藤 眞作曲 混声合唱組曲「眠れ幼き魂(こころ)」(詞・保富 康午)

も思い出します。戦争の悲惨さを強く訴える合唱曲です。

私はこれを高校時代に歌いました。

悲惨な戦争は何としても避けるべきですが、現在、ウクライナで戦闘状態にあります。

核兵器の使用も(脅しとして)発言されています。

悲惨さを訴え、何としても避けなければいけません。

                        (2022.9.4)

コラム78「白雨」

 今日の朝日俳壇には次の句が載っていました。

・目前の大寺を消す白雨かな         (東京都)望月 清彦

白雨は夕立。急にざあっとやってきて、さっきまで目の前に見えていた大きな寺が見えなくなった。

雨が大寺を消し去ったかのように。

 この句から思い出す合唱曲は、

・多田武彦作曲 男声合唱組曲「雨」より「雨の来る前」(詞・伊藤 整)

です。「ざあっとやって来いよ 夏の雨」で始まる、まだ雨の降り出す前の歌です。

岡崎市民合唱団では、第27回演奏会(2009)で、この男声合唱組曲から、

・「雨の日に見る」と「雨」を歌いました。

この組曲は男声合唱の邦人組曲の中でもっともよく歌われる名曲です。

                              (2022.8.28)

コラム77「花火」

 今日の朝日俳壇には次の句が載っていました。

・音速を遠しと思ふ遠花火        (東京都)高木 靖之

遠くで上がる花火を見ていると、花火がぱっと開いて、しばらくして間が抜けたようにドーンと音が聞こえます。

これは、光速が秒速30万キロメートルなのに対して、音速は秒速340メートルぐらいと、けた違いに遅いせいです。

日常生活では、例えば人と話をするときでも、車が通るのを見ているときでも、

目で見ているときと音のずれは少ないので、音速が遅いと実感することは少ないのです。

実感するのは花火か雷ぐらいでしょう。

 合唱曲で花火の曲と言えば、

・多田武彦作曲 男声合唱組曲「雪と花火」(詩・北原白秋)

があります。この第4曲の「花火」では

「花火があがる 銀と緑の孔雀玉・・・」

と歌います。白秋の花火の描写が見事です。

ところが、第1曲の「片恋」でも、

「あかしやの金と赤とがちるぞえな・・・」

と歌っているので、新鮮味が薄れてしまいます。使いまわしをしたようで。

                            (2022.8.21)

コラム76「蝉」

 今日の朝日俳壇には次の句が載っていました。

・樹上りは世に出る一歩蝉生る        (福山市)広川 良子

地中で長い幼虫時代を過ごした蝉が、成虫となるためにまずすべきことが樹木に上ることです。

そこで脱皮することが大きな試練となります。

それは人間の子どもが大人になるときの試練を連想させます。

また、同じく今日の朝日俳壇には次の句も載っていました。

・空蝉に蝉より長き日々はあり        (岐阜県揖斐川町)野原 武

蝉が脱皮して成虫になってからの寿命は1週間から、長くてせいぜい1か月です。

一方、脱ぎ棄てられた抜け殻の方はもっと長い期間を樹上で、あるいは地上に落ちて

雨風にさらされながら残ります。

この句を、人間の、下積みの時代・華々しい活躍をする時代・抜け殻のような老後の時代の比喩ととるのは読みすぎかもしれません。

 合唱曲で蝉を歌った曲と言えば、

・高田三郎作曲 混声合唱組曲「この地上」より「蝉」(詞・高野喜久雄)

があります。「水のいのち」と同じ作曲者・作詞者で、高田三郎らしい粘りのある曲です。

                           (2022.8.14)

コラム75「ダム」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・過疎の地の無数の人生飲み込みし巨大なダムが干上がらんとす    (長崎市)田中 正和

水不足でダムが干上がり、ダム湖の底が表れてきた。ダムに沈んだ過疎の村の人々の生活が見えてきた。

ダムのために村を追い出された人々のその後の人生も想像されます。

高知県の早明浦ダムの映像が浮かびますが、日本のあちこちで見られる情景かもしれません。

 この短歌から思い浮かぶ合唱曲は、

・中田喜直作曲 混声合唱組曲「ダムサイト幻想」(詞・小林純一)

です。この曲は、岐阜県の御母衣(みほろ)ダムを歌ったシリアスな現代曲で、コンクールでも歌われる難易度の高い曲です。

ピアノのほかに打楽器も加わり、壮大な世界が展開されます。

3曲目の「桜の回想」では白川村の民謡が取り入れられ、

・岩河三郎作曲 混声合唱組曲「富山に伝わる三つの民謡」

でも歌われたメロディーが登場します。

岩河三郎のこの曲は、岡崎市民合唱団で、第7回演奏会(1985)と第25回演奏会(2006)の2回演奏しています。

 ダムで思い出す合唱曲はこのほかに、

・團伊玖磨作曲 混声合唱組曲「筑後川」より「ダムにて」

があります。この組曲は、岡崎市民合唱団では、第17回演奏会(1996)で演奏しています。

                                    (2022.8.7)

コラム74「バウムクーヘン」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・コンパスではじめて円を書きました算数ノートにバームクーヘン    (奈良市)山添 聡介

算数の授業ではじめてコンパスで円を描いた。同心円を描いていたら、バウムクーヘンの形ができた。

常連の山添姉弟の聡介君、連想が楽しい歌です。

ドイツ語で、バウム(Baum)は木、クーヘン(Kuchen)はケーキです。

 これから思い出される合唱曲は、

・湯山昭作曲 女声合唱曲集「月曜日とわたし」より「バウムクーヘン」(中村千栄子作詞)

です。さらっと歌える、愛らしい歌です。岡崎市民合唱団では、

・わんぱくフェスタ2009で、

・「4つのお菓子の歌」(兼松正直 構成・編曲)

の中の1曲として混声合唱に編曲したものを歌いました。

なお、湯山昭には、「お菓子の世界」というピアノ曲集にも「バウムクーヘン」という曲があります。

 さらに、今日の朝日歌壇には次の短歌も載っていました。

・たのしみは課題が終わった授業中秘密で雲に名をつける時      (奈良市)山添 葵

聡介君の姉、葵さんの歌です。いろいろな形の雲に「〇〇雲」と名前を付けて楽しんでいる様子が浮かびます。

この歌で思い出す合唱曲は、

・湯山昭作曲 合唱組曲「小さな目」より「くも」

です。この組曲は、新聞に連載された子供の詩に曲をつけてまとめたものです。

「おばあちゃんはあの上にいるのかなあ」という終わり方がしんみりさせます。

同じ新聞の連載から作曲した

・三善晃作曲 混声合唱組曲「小さな目」

もありますが、三善晃の関西弁のアクセントには違和感があって、成功していないように思えます。

同じ子どもの詩から作曲した

・三善晃作曲 混声合唱組曲「子どもの季節」

の方がいい曲だと思います。私はこの曲を学生時代に歌ったことがあります。

                          (2022.7.31)

コラム73「夏帽子」

 今日の朝日俳壇には次の句が載っていました。

・脱げばすぐ旅は思ひ出夏帽子        (西宮市)黒田 國義

夏帽子を脱ぐまでが旅、脱ぐとたちまち旅は思い出になってしまう。

旅の心と夏帽子を脱いで寛ぐ気持ちがよく表れています。

 代表的な夏帽子に麦藁帽子があります。

これで思い出す合唱曲と言えば、

・三善晃作曲 女声合唱曲「麦藁帽子」(詩・立原道造)

があります。この曲は女声合唱の小品として多くの女声合唱団に愛唱されている名曲です。

三善晃は女子高校の合唱のためにこの曲を書いたそうです。

立原道造のさわやかな詩につけられたさわやかな愛らしい曲です。

1963年に作曲されていますが、当時としては珍しく、目まぐるしく転調する曲で、

それも、近親調ではなく、かなり遠い調に転調を繰り返します。

同じ三善晃の「三つの叙情」と並んで、私の最も好きな女声合唱曲(の一つ)です。

私はかつて高校の合唱部でこの曲を指揮したことがあります。

                                (2022.7.24)

コラム72「風船」

 今日の朝日俳壇には次の句が載っていました。

・手ばなして風船夏にのまれけり       (東京都)漆川 夕

ヘリウムの入った風船を持っていて、手を離すと風船は高く高く昇って行き、真っ青な夏空に吸い込まれていった。

これを夏空でなく「夏にのまれ」と言ったのがユニークです。

風船で思い出す合唱曲と言えば、

・中田喜直作曲 女声合唱組曲「美しい訣れの朝」より「赤い風船」(阪田寛夫作詞)

があります。この組曲は、女声合唱の名曲で、夫に先立って死んでいく女性の心情を歌っています。

「赤い風船」は5曲からなるこの組曲の第5曲、つまり終曲です。

「さよなら あなた ありがとう あなた」と歌い始め、

「風船につかまって わたしはもう行かなくては」という絶唱になります。

この組曲はかなりの難曲ですが、多くの高校でコンクールの自由曲として歌われてきました。

(特に3曲目の「お母さん」がよく歌われます。)

技術的な難しさのほかに、その成熟した女性の心情を高校生で歌い切るのは難しいのですが、

見事に歌い切っている高校もあります。

このほかに、

・大中恩作曲 女声合唱組曲「愛の風船」(中村千栄子作詞)

もよく歌われます。こちらはあまり難易度が高くなく、親しみやすく愛らしい合唱曲集です。

第6曲に「風船屋さんになりたいむすめ」が含まれています。

                           (2022.7.17)

コラム71「さよなら」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・卯の花のこぼるる道を別れ来ぬさよならのらを風にあずけて     (福島市)美原 凍子

きちんと別れのあいさつをしないまま別れてきてしまった。

さよならの「ら」を風にあずけてと歌い、別れの余韻を感じさせる、印象的な歌です。

 「さよなら」で思い出す合唱曲には、昭和42年度NHKコンクールの高校の部の課題曲、

・南弘明作曲「さよなら」(作詞・阪田寛夫)

があります。いろいろな状況に言う「さよなら」を並べて、懐かしくいとおしいと歌っています。

私も高校生時代にコンクールに参加し、課題曲として歌いました。

私が参加した兵庫県大会は神戸市内のどこかの公園の中の公会堂のようなところで行われました。

兵庫県代表の常連で、全国大会でも実績のあるK高校の演奏のときにハプニングが起きました。

この課題曲はピアノの前奏と2回の間奏に同じフレーズが使われています。

K高校のピアノ伴奏は生徒が弾いていましたが、間奏のときに間違ってしまったのです。

(たぶん、1回目の間奏のときに前奏か2回目の間奏のパターンを弾いてしまった。)

曲が前に進まなくなって、止まって、改めて間奏から弾き直して再開しました。

これではK高校が代表にはなれないなと思いました。

ところが、代表はK高校になりました。

当時は、近畿地区大会はひとつの会場で行われるのではなく、放送審査で行われていました。

コンクールの終った後、同じ会場でK高校の演奏を改めて録音していました。

そんなことでいいのかと割り切れない思いで会場を後にしたことを覚えています。

                                 (2022.7.10)

コラム70「草むしり」

 今日の朝日歌壇には次の短歌が載っていました。

・根こそぎが願いの禰宜が妬むほど根を張る草に音を上げる夏      (横浜市)田中廣義

庭の草むしりが大変な夏です。根をしっかり張っている雑草は引き抜くのが大変です。

この歌の面白さは「ね」の音で韻を踏んでいるところです。なんと6つも語頭に「ね」が入っています。

 草むしりで思い出す合唱曲は、

・池辺晋一郎作曲 女声合唱組曲「花の四季」より「汗」です。

藪も枯らすというヤブガラシのことを歌っていて、

可愛げな花が咲いているけれど、騙されてなるものかと、

汗を拭き、きつくひっぱるという歌です。

「4分の3+8分の3」という変拍子も使われていて、緊迫感のある面白い曲です。

私はかつて高校の合唱部でこの曲を指揮したことがあります。

花のきれいな雑草としてはネジバナ(モジズリ)があります。

今日の朝日俳壇には次の句が載っていました。

・ねぢ花の最上階はなぞだらけ          (伊勢崎市)小暮駿一郎

花がかわいくても抜くべきは雑草です。

                    (2022.7.3)

コラム69「亀鳴く」

 今日の朝日俳壇には次の句が載っていました。

・万年も生きて一度は亀も鳴く      (所沢市)藤塚 貴樹

亀鳴くという春の季語がありますが、実際に亀が鳴くことはなく、空想的な季語です。

しかし、「鶴は千年、亀は万年」ということわざがあるように、亀は長生きなので、

一万年も生きるなら、その中で一度ぐらいは鳴くことがあるかもしれない。

そんなとぼけたユーモアのある句です。

実際には亀の寿命は数十年といったところですが。

 亀に関する合唱曲といえば、

・大中恩作曲 合唱組曲「私の動物園」より「はこぶね」

を思い出します。阪田寛夫の詩による無伴奏の混声合唱曲で、

ノアの箱舟に乗せてもらえなかった亀がゆっくりとついて行くという内容です。

亀には我々人間の考えの及ばない秘密があるのかもしれません。

                          (2022.6.26)

コラム68「山登り」

 今日の朝日俳壇には次の句が載っていました。

・山登る心の足場探しつつ        (仙台市)鎌田 魁

山登りのとき、特に岩場を登るときは確実な足場をとらえることが必要です。

それを「心の足場」と言うことで、人生の困難を乗り越えようとするとき心のよりどころを求めることにつなげています。

山登りに関する合唱曲といえば、

・清水脩作曲 合唱組曲「山に祈る」

が思い浮かびます。この曲は混声版と男声版がありますが、

もともとはダークダックスのために書かれ、男声四重唱とオーケストラの編成です。

山で遭難して死んだ学生の手記と、死んだ子に呼びかける母親の思い。

朗読が効果的に使われ、演奏会では聴衆を泣かせる曲として有名です。

聴衆を泣かせる曲といえば、

・中田喜直・磯部俶作曲「おかあさんのばか」

もあります。母親の死を受け入れられない女の子の詩による合唱曲です。

中田喜直の曲と磯部俶の曲が混在していて、男声版、女声版、混声版があります。

これらの曲は最近あまり演奏されたのを聞きませんが、

聴衆の心を揺さぶる曲というのは見直してとりあげてみてもいいのではないかと思います。

                          (2022.6.19)

コラム67「人魚と波」

 今日の朝日俳壇には次の句が載っていました。

・波うらら人魚ゐなくて波ばかり      (三豊市)磯崎 啓三

うららかな春の海を見ていると人魚の幻影が現れたりするが、やはり波ばかりと我に返る。

この句は中原中也の「在りし日の歌」の中の「北の海」という詩のヴァリエーションといっていいと思います。

「海にゐるのは、/あれは人魚ではないのです。/海にゐるのは、/あれは、浪ばかり。」

という詩です。中也の詩では、「曇った北海の空の下」が舞台ですが、この句ではそれをうららかな春の海に転換しています。

春の海の幻想としても、確かに違った趣で成り立ちます。

この「北の海」は、

・三善晃作曲 女声合唱組曲「三つの叙情」の第2曲として作曲されていて、女声合唱の名曲です。

岡崎市民合唱団では、第12回演奏会(1990年)で、

・三善晃作曲 混声合唱組曲「三つの叙情」(兼松正直が混声合唱に編曲したもの)を演奏しています。

このほか、中原中也の詩による合唱曲としては、

・兼松正直作曲「若き日の歌」の中で、

「サーカス」、「帰郷」、「湖上」の3曲を、第29回演奏会(2012年)に演奏しています。

                                    (2022.6.12)

コラム66「羊腸の小径」

 今日の朝日歌壇には次の歌が載っていました。

・羊腸の老幹置いて今年また棚じゅうの藤散り終わりけり     (我孫子市)松村 幸一

藤棚いっぱいに咲いていた藤が散り終わった。曲がりくねった太い幹が残されている。

花が散り終わったことで、それまで花の方に目が行っていたのが、

藤の古木のごつごつとした曲がりくねった幹が目立つようになったのです。

羊腸というのは曲がりくねっている様子を表す言葉です。

・滝廉太郎作曲の唱歌「箱根八里」(詞・鳥居忱)

の中に「羊腸の小径は苔なめらか」という歌詞が出てきます。

岡崎市民合唱団では、第1回演奏会(1979年)の、

・林光編曲「日本叙情歌曲集」のステージの中でこの曲を歌いました。

                        (2022.6.5

コラム65「富士山」

 今日の朝日歌壇には次の歌が載っていました。

・富士見市とふじみ野市とが隣り合ひ遥かに霞む富士を分け合ふ    (ふじみ野市)谷口 俊彦

埼玉県で隣り合う富士見市とふじみ野市。富士山が見えることが地名の由来といわれます。

地名の通り、遠くに見える富士山を分け合っているということを擬人的にユーモラスに歌っています。

ふじみ野市は上福岡市と大井町の合併でできた市ですが、富士見市も含んだ合併構想もあったようです。

富士を名前に含む市には、静岡県に富士市と富士宮市、山梨県に富士吉田市があります。

もっと細かい富士のつく地名は各地にあり、富士見坂とか富士見台とかいう地名が、富士山が見えそうもないところにもあります。

富士山の人気の高さゆえの地名だと言えます。

 合唱曲で富士山といえば、

・多田武彦作曲 男声合唱組曲「富士山」

があります。草野心平の詩による無伴奏男声合唱曲で、5つの楽章からなります。

多田武彦の組曲「雨」、「柳河風俗詩」と並んで、男声合唱の名曲として多くの男声合唱団に歌われています。

 岡崎市民合唱団では、「富士山」は歌っていませんが、第27回演奏会(2009)で

・多田武彦作曲 男声合唱組曲「雨」より「雨の日に見る」「雨」、

第26回演奏会(2008)で

・多田武彦作曲 男声合唱組曲「柳河風俗詩」より「柳河」

を歌いました。

                           (2022.5.29)

コラム64「犬と猫」

 今日の朝日歌壇には次の歌が載っていました。

・犬の目はただ真っ直ぐで人であることが時々罪に思える     (観音寺市)篠原 俊則

邪心のない犬の表情を見て、邪心に満ちた自分を省みています。

人であることが罪というのはその通りでしょう。

 また、今日の朝日俳壇に次の句が載っていました。

・つまんねえつまんねえと猫のどけしや          (茅ヶ崎市)加藤 西葱

犬と違って猫にはちょっと拗ねたような表情があります。

猫にも邪心はないのでしょうが、犬ほど真っ直ぐな感じではありません。

 犬と猫から思い出す合唱曲と言えば、

・三善晃作曲 女声合唱組曲「のら犬ドジ」

・三善晃作曲 女声合唱組曲「動物詩集」より「子猫のピッチ」

共に名曲ですが、難易度がかなり高く、合唱コンクールの全国大会レベルの合唱団しか歌いこなせない難曲です。

                                  (2022.5.22)

コラム63「風と花びら」

 今日の朝日歌壇には次の歌が載っていました。

・風にひら花びらひらとひろがれりひとたび地にふれまた風にひら     (福津市)岩永芳人

風に花びらが舞っている様子が、意味からも、音韻からも、字面からも感じられます。

「ひ」の音で韻を踏んでいて、花びらがひらひら舞っている感じが出ています。

また、平仮名を多用した表記で風のやさしさが表れています。

 この短歌から思い出す合唱曲は、

・高田三郎作曲「心の四季」より「風が」

です。この組曲は吉野弘の詩による7つの曲からなります。

その1曲目が「風が」で、「風が桜の花びらを散らす」から始まります。

春・夏・秋・冬の4つの連からなり、「人は見えない時間に吹かれ、みがかれ、包まれている」と歌います。

この組曲は「水のいのち」と並んで、邦人合唱曲の中の最高峰と言える名曲です。

岡崎市民合唱団では、

・第18回演奏会(1997年)と

・第33回演奏会(2016年)の2回歌いました。

名曲は何度歌っても味わい深いものです。

                          (2022.5.15)

コラム62「ブチャ・南京・・・」

 今日の朝日歌壇には次の歌が載っていました。

・南京で何もなかったと言うようにロシアはブチャをフェイクだと言う   (光市)松本 進

ウクライナのブチャで非戦闘員の虐殺があり、それが報道されると、ロシアの公式報道は、ウクライナの報道はフェイクだという。

それは南京の虐殺がなかったという言い方をする人たちと似ていると言っています。

この短歌から思い出す合唱曲は、

・池辺晋一郎作曲「悪魔の飽食」

です。これは、第二次世界大戦中に満州(中国東北部)で日本の731部隊が行った人体実験を告発する

森村誠一の原詩をもとに構成された合唱組曲です。

この事件についてもデマ宣伝がなされています。

真実に目を背けることは、これから同様のことが起こることを防げないことにつながります。

                                    (2022.5.8)

コラム61「ひばり」

 今日の朝日歌壇には次の歌が載っていました。

・戦争をしない生きもの春の野に雲雀と燕がこぼすさえずり     (観音寺市)篠原俊則

ヒトは戦争をする生きもの。互いに殺し合う。ウクライナの麦畑で悲惨な殺戮が行われている。

雲雀と燕は戦争をしない生きもの。のどかな春の野で生き生きと飛び、さえずる。

作者はそれがうらやましくもあり、頼もしく思っていると思います。

 岡崎市民合唱団は、第29回演奏会(2012)で、ハイドンの「ニコライミサ」を歌ったとき、アンコールに

 ・ハイドン作曲 「ひばり」(弦楽四重奏曲による合唱曲)

を歌いました。のどかな春の野でさえずる雲雀の喜びを歌いました。

ウクライナの麦畑に早く平和が訪れるといいと思います。

 今日の朝日歌壇には次の短歌も載っていました。

・美しき草色萌ゆるライ麦はいつか黄金の波になりゆけ      (国分寺市)小山佐和子

この歌は、各句の頭に「ウ・ク・ラ・イ・ナ」を置いた折句になっています。

(「カ・キ・ツ・ハ・タ」を折り込んだ「からごろも着つつなれにし…」の歌のように。)

技巧的な中に平和への祈りを込めた歌となっています。

                        (2022.5.1)

コラム60「戦いの日々」

 今日の朝日歌壇には次の歌が載っていました。

・地下壕にふるえ泣いてる栗色の髪の少女はあの日の私    (八王子市)守屋栄子

今日の朝日歌壇はウクライナの戦争の歌が大多数を占めています。

この歌の作者はウクライナの少女の映像から自分の戦争体験を思い出しています。

地下壕での少女のふるえから戦争中空襲におびえていた自分を思い出したのです。

この戦争に救いはあるのでしょうか。

戦地からの映像には戦争の悲惨さを告発する力があります。

ただし、同じ今日の朝日歌壇に次の歌も載っています。

・キエフの街を泣き泣きひとり歩く子をカメラは前からうしろから追う  (相模原市)武井裕子

行きすぎた追い回しに作者は批判的な目も持っているように思えます。

 これらの戦争の歌から、私は次の合唱曲を思い出しました。

・三善晃作曲 混声合唱組曲「嫁ぐ娘に」より「戦いの日々」

この組曲は無伴奏の混声6部合唱で、嫁ぐ日が近づく娘への母の思いをつづった高田敏子の連作詩に作曲されたものです。

初演した東京混声合唱団の女声団員たちは、子を持つ団員は母として未来の子との、

未婚の団員たちは自分が嫁ぐときの母との心の交流を思って、泣きながら歌ったというエピソードがあります。

(岡崎市民合唱団で現在練習している

・「秋桜」(さだまさし作曲。山口百恵が歌ってヒットした。)

もそのような心情が歌われます。)

その組曲「嫁ぐ娘に」の3曲目が「戦いの日々」です。

「やめて やめて」と女声が繰り返し歌い、バリトンソロが「世界中の町と村で 母と子は叫びつづけた」と歌います。

曲の最後は「いつまでも 夜明けは来なかった」です。

ウクライナの町に平和の夜明けが早く来ることを望みます。

                        (2022.4.24)

コラム59「卒業式と校歌」

 今日の朝日俳壇に次の俳句が載っていました。

・講堂に校歌の余韻卒業す       (豊岡市)山田耕治

卒業式が終わって、卒業生も在校生も来賓も教職員もいなくなった講堂に、

今日卒業式で歌われた校歌の余韻が残っている。

卒業生を送り出した教員の立場の感慨が詠まれていると思います。

卒業式で歌われる歌には、「仰げば尊し」や、最近では「旅立ちの日に」など、定番の歌がありますが、

毎年、入学式や始業式・終業式にも歌われてきた校歌は、卒業生にも送り出す側にも心に響くものがあります。

また、今日の朝日俳壇にこんな俳句も載っていました。

・海を見て独りでゐたき卒業日      (横浜市)高野茂

卒業式が終わって一人になりたい心情には共感できます。

そのとき海を見ていたいという気持ちもよくわかります。

岡崎市民合唱団の第34回演奏会(2018)で歌った、『朝昼晩の歌Ⅱ』(兼松正直・編曲)より

・荒井由実 「海を見ていた午後」

も思い出しました。

思い出に残る出来事や行事と歌は密接に結びついているものです。

さらに、今日の朝日歌壇には

・正解のない子育てを卒業し答え合わせをしたい春の日     (秦野市)三宅節子

という短歌も載っていました。

卒業にもいろいろあって、子供が独立して子育てを卒業した母親が、

長年の子育ての答え合わせをしたいというのです。こんな子育てでよかったのかしらと。

模範解答がないのに答え合わせができるはずもありません。

答案は一枚しかなく、今表れている結果が正解とするほかはありません。

                                       (2022.4.17)

コラム58「朝の夢」

 今日の朝日俳壇に次の俳句が載っていました。

・朝寝してみても戻らぬ夢があり     (高松市)島田 章平

朝方夢を見て、続きが見たいと思って二度寝をしたけど、元の夢には戻れなかった。

夢のはかなさを詠んだ句です。どんな夢だったのでしょう。

すでに亡くなった人に会えた夢なのか。それとも・・・。

 合唱曲で「夢」というと、

・平吉毅州作曲「混声合唱のためのスケッチ『夢』」

という組曲を思い出します。

その中の2曲目「帆立貝」をかつて聴いたことがあります。

1975年ごろのNHKコンクールの西三河地区予選で、岡崎高校コーラス部の演奏で聴いた覚えがあります。

会場は確か愛教大附属中の体育館でした。

「ハッチを開け ハッチを開け」というフレーズが印象的でした。

 今日の朝日俳壇にはこのほかに次の俳句も載っていました。

・さくらさくら初恋といふ幻かな     (三郷市)岡崎 正宏

先日(4月5日)の岡崎市民合唱団の練習日には、いつもの練習曲

(ベートーヴェン「ハ長調ミサ」より「キリエ」、千原英喜「みやこわすれ」より「薔薇のかおりの夕ぐれ」)

のほかに、

・「さくらさくら」(日本古謡・山田耕筰採譜)

を混声四部合唱(兼松正直編曲)で歌いました。

桜がきれいに咲いたこの時季に歌うのがふさわしいかと思って歌うことにしました。

                                   (2022.4.10)

コラム57「梅咲きぬ」

 今日の朝日俳壇に次の俳句が載っていました。

・臥竜梅(がりょうばい)昇天しつつ散華せり       (流山市)津金 實

臥竜梅は竜が寝そべっているように見える梅の古木。日本各地の梅の名所に見られるようです。

梅が散っている様子を、寝そべっていた竜が昇天していくとき花びらを散らしているようだと見立てているのでしょう。

岡崎の南公園の梅林も、1月から3月にかけて多くの梅が咲き、今は梅は終わって桜が満開です。

梅は(品種にもよるのでしょうが)桜と違って、散るときがあまり鮮やかなでないように思えます。

南公園の梅も、散ったというより、萎びていった気がします。

 梅で思い出す合唱曲といえば、柴田南雄が三好達治の詩に作曲したものがあります。

・「三つの女声合唱曲作品12」より「梅」

・「二つの混声合唱曲作品6」より「梅咲きぬ」

同じ詩に作曲しているのでメロディーラインはほぼ同じなのに、この2曲は全く印象が異なります。

女声合唱の方はフランス印象派を思わせる和声で次々に転調していくのに対して、

混声合唱の方はドイツロマン派のように構造的にどっしりしていて、力強さを感じさせます。

柴田南雄は、いろいろな作風を持つ作曲家で、前に述べた「追分節考」のような前衛的な曲もあれば、

・「三つの無伴奏混声合唱曲作品11」(「水上」、「早春」、「風」)

のような古典的な作風の曲もあります。

・「優しき歌・第二」より「また昼に」

では、無伴奏混声合唱を28パートに分け、音を次々に広げてステレオ効果を狙うという、

当時としては斬新な手法も見られます。

2曲の梅の合唱曲は、花の可憐さを歌った女声合唱もきれいですが、

古木の梅をどっしりと歌った混声合唱の方が元の詩の雰囲気に合っているように思えます。

                             (2022.4.3)

コラム56「雛の眼差し」

 今日の朝日俳壇に次の俳句が載っていました。

・女雛より眼差し遠き男雛かな     (大阪市)真砂 卓三

雛段の一番上の段に内裏雛の男雛と女雛が並んで座っています。

その表情を見ると、女雛に比べて男雛は遠くを見るようなまなざしだというのです。

ひなまつりの今日を楽しんでいる女子に比べて男子は…というのはうがちすぎでしょうか。

「現実主義の女性と理想主義の男性」という言い方も誤解を招くかもしれません。

 雛人形で思い浮かぶ合唱曲といえば、

・高田三郎作曲 女声合唱組曲「雛の春秋(はるあき)」

があります。この組曲は、「雛の季節」、「手毬」、「秋の人形」の3曲からなり、

母親の娘への慈しみ、娘の願い、人形のこころを歌い上げます。

高田三郎の曲は岡崎市民合唱団でもたびたび演奏してきました。

いつかこの曲も混声版で演奏したいものだと思います。

                 (2022.3.27)

コラム55「少女が子どもでなくなる日」

 今日の朝日俳壇に次の俳句が載っていました。

・少女もう雪合戦に加はらず     (香川県琴平町)三宅久美子

子どものころは雪合戦ではしゃいでいた少女が、

いつしか無邪気に雪の球を投げ合うことに恥じらいを覚えるようになって、

雪合戦に参加しなくなったというのです。

少女が子どもでなくなるころの微妙な心理を表している、いい句だと思います。

同じく、今日の朝日歌壇にこんな句も載っています。

・脱皮して脱皮して吾子卒業す     (横浜市)鈴木 昭恵

人の成長には区切りというか、何かしらの不連続なきっかけがあるように思います。

 少女が子どもでなくなるときのことで、合唱に関連して思い出すのは、児童合唱から女声合唱への移行です。

1970年ごろ、NHKFMで聴いた、東京トルベールの演奏は衝撃でした。

曲名は、放送でははっきり聞き取れませんでしたが、「ザクカラクコビッチ」というような曲名だったと思います。

それは東ヨーロッパの民謡のような曲で、原語で歌っていました。

東京トルベールは東京放送児童合唱団の卒団生の有志で結成された一般合唱団で、

1970年の全日本合唱コンクールの全国大会に参加し、一般の部で金賞を受賞しました。

東京放送児童合唱団は、「NHKみんなのうた」で

・「おおブレネリ」(スイス民謡)

・「ぼくらのトロイカ」(チャイコフスキー)

・「トロイカ」(ロシア民謡)

などを歌っています。

FMで聴いた東京トルベールの演奏は、これらの児童合唱の音色も残しつつ、

輝かしく、ダイナミックで、勢いのある表現で、音楽的に優れたものでした。

高い水準にあった当時の一般の部の全国大会で金賞を受賞したのもうなずける演奏でした。

 岡崎市民合唱団では、第29回演奏会(2012年)で、「東欧の旅」というステージを持ち、その中で、

・「ぼくらのトロイカ」(チャイコフスキー)

を歌っています。この曲はチャイコフスキーのピアノ曲集「四季」の第11曲目の「トロイカ」をもとに、

「NHKみんなのうた」のために合唱曲に作曲されたものです。

岡崎市民合唱団のステージでは私(兼松)が混声合唱に編曲し、

チャイコフスキーの原曲(ピアノ曲)どおりの中間部も加えて演奏しました。

雪原を走るトロイカ(3頭立ての馬車)の鈴が聞こえてくるような軽やかなピアノの中間部でした。

 少女は真っ白に積もった雪の野原で、何に目覚めて子どもから脱皮するのでしょうか。

同じく、今日の朝日歌壇にこんな歌も載っていました。

・大人になるのイヤだと言ったら友笑う私たち二十歳大人ゼロ歳     (富山市)松田 わこ

                                (2022.3.20)

コラム54「看板」

 今日の朝日歌壇にこんな短歌が載っています。

・弟の秘密基地には「そうすけのひみつきち」ってかん板がある     (奈良市)山添 葵

朝日歌壇の常連、山添姉弟の姉が弟を歌った歌です。

「ひみつきち」という看板を出すと秘密にならないのに、という面白さがほほえましい。

同じく今日の朝日俳壇にもこんな俳句が載っています。

・かまくらに「はいっていいよ」と幼(おさな)の字         (敦賀市)山田美千代

敦賀市は福井県の海辺の町。そんなに雪深いところではありません。

そんな町で珍しくたくさん積もった雪を使って子どもがかまくらを作りました。

うれしくて、「はいっていいよ」という看板を作った幼い子どもの満足感が目に見えるようです。

「はいっていいよ」と言いながら、入ってほしい気持ちが表れています。

 看板といえば、昔は、演奏会のとき、会場の外に「〇〇合唱団第〇回演奏会」や「〇〇音楽会」などという看板を立てたり、

ステージの上に吊り看板をつるしたりすることがよくありました。

しかし、最近はそういう看板をあまり見かけなくなりました。

そういうことにお金をかけてまで演奏会をアピールすることに意味が感じられなくなったのでしょう。

                                      (2022.3.13)

コラム53「鯉の口」

 今日の朝日歌壇にこんな短歌が載っています。

・鱚(キス)・鮟鱇・鯉の唇(くち)して泳ぐとき不思議に泡と消えるストレス     (箕面市)大野美恵子

ジムのプールで泳いでいるのでしょうか。平泳ぎでいろいろな口の形をして水をかいていると、

リラックスして、ストレスが、自分の口から出る泡のように消えていく。至福のひとときです。

運動をするのはストレス解消にいいようです。

「鯉の口」で思い出すのは、大学の合唱団にいるとき、山路亮三氏にヴォイストレーニングをしてもらったことです。

「ウ」の母音を歌うとき薄っぺらな口になりやすいのですが、山路氏は、

「『ウ』を歌うときは鯉の口、センプン(接吻のことを、わざと間違えて受けを狙って言う)の口」と繰り返し強調しました。

名古屋大学グリーンハーモニーと愛知教育大学混声合唱団と静岡大学混声合唱団のジョイントコンサートで、合同演奏に

・ショスタコーヴィッチ作曲「十の詩曲」

を、神田詩朗氏の指揮で歌ったことがありました。

この中の「死刑の戦士」の冒頭「牢屋は暗く沈み…」の部分をグリーンハーモニーのバスのメンバーが一人一人山路氏に見てもらいました。

山路氏の豊かな低音で聞かせてもらってまねるだけで自分も豊かな声が出たような気がしました。

                                      (2022.3.6)

コラム52「オールド・ブラック・ジョー」

 今日の朝日歌壇にこんな短歌が載っています。

・「オールドブラックジョー」身に沁みて聴くといふ賀状の友をわれも諾(うべな)ふ     (柏崎市)阿部松夫

「オールド・ブラック・ジョー」は有名なフォスターの歌曲です。

(私の心が若くて陽気だった日々はもう過ぎてしまった

私の友達もいなくなってしまった この綿畑から この地上から…)

という歌詞に共感するという賀状をよこした友達に、自分も共感するというのです。

老いの切実な寂しさを、友からの賀状にことよせて、実感をこめて歌っています。

 この曲はフォスターが1853年ごろ作詞・作曲し、1860年に出版されました。

ミンストレル・ショーという、白人が黒人に扮してする寸劇の中でよく歌われたそうです。

それは今日では考えられない、黒人差別につながるショーだったのです。

それでも、この歌には老いた黒人の悲哀がよく表されていると思います。

出版の翌年、1861年、南北戦争が始まり、翌1862年奴隷解放宣言が布告されました。

そんな時代背景のもとで作られた歌です。

フォスターの歌曲は日本でも音楽の教科書に載ったりして多くの人に親しまれ、合唱曲にも編曲されて歌われています。

 岡崎市民合唱団では、第7回演奏会(1985年)で、

・「フォスター愛唱曲集」

というステージを持ちましたが、その中ではこの曲は歌っていません。

(歌ったのは、「金髪のジェニー」、「おおスザンナ」、「夢路より」、「ケンタッキーのわが家」の4曲です。)

いい歌なので、何かの機会に歌うことができればと思います。

もっとも、老いの寂しさを実感してばかりでなく、前向きの歌も歌いたいものですが。

                           (2022.2.27)

コラム51「茎立つ」

 今日の朝日歌壇にこんな短歌が載っています。

・常夜灯はうれん草を狂はせて早も茎立つ大寒の畑     (前橋市)荻原 葉月

ホウレンソウは長日植物なので、暗期が限界暗期より短くなると、つまり、夜が短くなると花芽が形成されます。

それで、普通は4月ごろに茎が立って花が咲きます。

ところが、常夜灯が灯っているので昼夜の感覚が狂って、大寒(1月20日ごろ)なのに茎が立ってしまったのです。

人工の光が暗期を短くしてしまったのです。農家にとっては困ったことです。

短歌としては文明への皮肉も込めているのでしょう。

 茎が立って作物が売り物にならないことで思い出す合唱曲があります。

・組曲「花に寄せて」より「みょうが」(新実徳英作曲・星野富弘作詞)

星野富弘氏が母の思い出として、

  「花の咲いたやつは安くなるからと

  花を抜いて売ったこともあったよね」

と書いてあります。いけないことなのでしょうが、懐かしんで書いています。

 植物に寄せて母の思い出を語るといえば、今、岡崎市民合唱団で練習している

・組曲「みやこわすれ」より「はっか草」(千原英喜作曲・野呂昶作詞)

もそうです。娘に「はっか草のような人になりなさい」という母親をどう思いますか?

                                     (2022.2.20)

コラム「凍る」

 今日の朝日俳壇にこんな俳句が載っています。

・その上へその上へ滝凍りけり     (長野市)縣展子

たまった水は凍りやすいが流れる水は凍りにくいものです。ところが、冬の寒さが厳しくて、滝すら凍っています。

凍った上から水が流れてきて、それがさらに凍って、それを繰り返して重層的な凍滝(いてたき)ができるのです。

凍滝を見上げる作者の視線が上へ上へと移る様子も感じられます。

「凍る」も「凍てる」も冬の季語です。この言葉から思い出される合唱曲は、

・高田三郎「ひたすらな道」より「白鳥」です。

「ひたすらな道」は、岡崎市民合唱団で演奏会に歌う曲として選曲委員会で選定されたことがあります。

団員の人数分の楽譜も購入し、配布し、練習に入ろうとしたとき、「白鳥」の歌詞が残酷すぎると団員からクレームがつき、

クレームに賛同する団員が増え、結局、歌うことを取りやめてしまいました。

一羽の白鳥が両足を湖の氷の中に閉じ込められ、足をちぎって飛び去り、

春になって、両足のない白鳥が湖から両足を口にくわえて飛び去るという内容の詩です。

実際に起こった出来事でもないし、もっと象徴的な内容を歌った詞なのですが、

多数の団員の生理的な嫌悪感に出会って、演奏することを断念しました。

多くの楽譜が回収され、団財として保管されていますが、演奏の日の目を見ることはないでしょう。

どこかの合唱団でこの曲を演奏する希望があれば、格安で楽譜を送ることができると思います。ご連絡ください。

ちなみに、「白鳥」も冬の季語です。ほかに「凍鶴(いてづる)」という季語もあります。

                                       (2022.2.13)

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コラム①「わんぱくフェスタ」

 かつて殿橋の近くに「太陽の城」という建物がありました。私たち岡崎市民合唱団はおもにそこを練習会場会場としていました。

この建物はもともと岡崎市民合唱団が発足するとき、練習会場が必要だということで、岡崎市当局と話し合って作ってもらったものです。

いまはもう取り壊されてしまって、跡地の利用について検討が進められていますが、元の太陽の城を建設してほしいというのが私たちの願いです。

かつてこの太陽の城で「わんぱくフェスタ」という行事が行われていました。日頃この施設を利用しているいろいろな団体が参加して、様々な催し物が行われました。

私たち、岡崎市民合唱団が「わんぱくフェスタ」で演奏した曲目をご紹介します。

◎わんぱくフェスタ2004(8・29)

 ・われは海の子     ・黄金虫  ・證誠寺のたぬきばやし  ・翼をください

◎わんぱくフェスタ2005(8・28)

 ・翼をください 他

◎わんぱくフェスタ2006(8・30)

 ・「You Raise Me Up」(ラブランド、グラハム)     ・「Ave Maria」(シューベルト)  ・「スケートをする人々」(ワルトトイフェル)

◎わんぱくフェスタ2007(8・26)

 〇「バイエルによる子どもの歌」(「赤いアンブレラ」「ちっちゃな恋人」「山登り」「夢の馬車」)

◎わんぱくフェスタ2008(8・24)

 〇「バナナだいすき」(「とんでったバナナ」「バナナのおやこ」「バナナをたべるときのうた」「サッちゃん」)

◎わんぱくフェスタ2009(8・23)

 〇4つのお菓子の歌(「アイスクリームの歌」「バウムクーヘン」「ドロップスの歌」「落葉の物語」

◎わんぱくフェスタ2010(8・29)

 〇「ふしぎな世界」(「まっくら森の歌」「とうめいにんげんなんだけど」「たぬきのレストラン」「まるで世界」)

                                                         (2021.7.28)

 

コラム「アンコール」

 演奏会の最後に、アンコールに応えて、小さな曲を演奏することがよくあります。

この曲は、演奏会のプログラム・パンフレットには載せられておらず、アナウンスでの紹介もありません。

(演奏会によっては、演奏後、ロビーに曲名を張り出すこともあります。)

 私たち岡崎市民合唱団の演奏会では、多くは、演奏会の最後のステージに関連した曲を演奏しています。

ここ最近の演奏会で演奏したアンコール曲を並べてみます。

◎第35回演奏会(2019)

 ・最終ステージ モーツァルト 「ヴェスペレ K339」

 ・アンコール  モーツァルト 「キリエ K80」

◎第34回演奏会(2018)

 ・最終ステージ モーツァルト 「レクィエム」

 ・アンコール  モーツァルト 「アヴェ・ヴェルム・コルプス」

◎第33回演奏会(2016)

 ・最終ステージ モーツァルト 「ミサ・ブレヴィス K192」

 ・アンコール  モーツァルト 「アイネクライネナハトムジーク」による「わがセレナーデ」

◎第32回演奏会(2015)

 ・最終ステージ モーツァルト 「荘厳ミサ K337」

 ・アンコール  モーツァルト 「ヴェスペレK339」より「ラウダーテ・ドミヌム」

◎第31回演奏会(2014)

 ・最終ステージ ドヴォルザーク「ミサ曲ニ長調」

 ・アンコール  シベリウス  「フィンランディア」

◎第30回演奏会(2013)

 ・最終ステージ フォーレ   「レクィエム」

 ・アンコール  フォーレ   「パヴァーヌ」

◎第29回演奏会(2012)

 ・最終ステージ ハイドン   「ニコライミサ」

 ・アンコール  ハイドン   「ひばり」(弦楽四重奏曲による合唱曲)

                                                                                                         (2021.8.2)

コラム「みんなで歌おう」

 市民合唱団の演奏会の途中に、客席の皆さんと一緒に歌う「みんなで歌おう」のコーナーが設けられることがあります。

これは、第1回演奏会から行われてきたもので、毎回必ずというわけではありませんが、多くの演奏会で行われてきました。

歌う曲目はその日の演奏曲目に関連したものが多いのですが、全く関係ない曲が選ばれることもあります。

最近の演奏会で歌われた「みんなで歌おう」の曲を挙げてみます。

◎第35回演奏会(2019)

 ・みんなで歌おう   「幸せなら手をたたこう」

 ・関連したステージ  「九ちゃんが歌った歌」

◎第34回演奏会(2018)

 ・みんなで歌おう なし

◎第33回演奏会(2016)

 ・みんなで歌おう   「365日の紙飛行機」(秋元康 作詞)

 ・関連ステージ    「美空ひばり作品集・川の流れのように」(秋元康 作詞)

◎第32回演奏会(2015)

 ・みんなで歌おう   「花は咲く」(震災復興支援ソング)

 ・関連ステージ なし

◎第31回演奏会(2014)

 ・みんなで歌おう   「サザエさん」(筒美京平 作曲)

 ・関連ステージ    「筒美京平の世界」

◎第30回演奏会(2013)

 ・みんなで歌おう   「花」(滝廉太郎 作曲)、「花は咲く」(震災復興支援ソング)

 ・関連ステージ    「春夏秋冬」(「花」を含む)

◎第29回演奏会(2012)

 ・みんなで歌おう   「ともしび」

 ・関連ステージ    「東欧の旅」(「ともしび」を含む)

                                           (2021.8.5)

コラム「挿入歌」

 指揮者に声楽家の大久保亮氏を迎えてから、市民合唱団の演奏会のステージの途中で、大久保亮氏の独唱を挿入するようになりました。

最近の演奏会で歌われた挿入歌を並べてみます。

◎第35回演奏会(2019)

 ・挿入歌   「夢であいましょう」(「上を向いて歩こう」が発表されたテレビ番組のテーマ曲。1961~66年に放送。)

 ・ステージ  「九ちゃんが歌った歌」

◎第34回演奏会(2018)

 ・挿入歌   「グリーンスリーブス」(「ホームソングメドレー・イギリス編」の合唱の中でソロの部分を歌う。)

◎第33回演奏会(2016)

 ・挿入歌   「津軽のふるさと」(美空ひばりの1966年のヒット曲)

 ・ステージ  「美空ひばり作品集」

                                                                  (2021.8.9)

コラム「男声合唱・女声合唱」

 岡崎市民合唱団は混声合唱団ですが、演奏会の中で男声合唱と女声合唱を歌ったことが何度もあります。

◎第31回演奏会(2014)

 ・男声合唱  バークス「夜明けまで(Until The Dawn)」

 ・女声合唱  中田喜直「青空の小径」

◎第29回演奏会(2012)

 ・男声合唱  ザイツ 「ウ・ボイ」

 ・女声合唱  コダーイ「ジプシーがチーズをかじる」

◎第27回演奏会(2009)

 ・男声合唱  多田武彦「雨」より「雨の日に見る」「雨」

 ・女声合唱  中田喜直「霧と話した」

◎第26回演奏会(2008)

 ・男声合唱  多田武彦「柳河風俗詩」より「柳河」

 ・女声合唱  萩原英彦「抒情三章」より「風に寄せて」

◎第25回演奏会(2006)

 ・男声合唱  清水脩 「月光とピエロ」より「秋のピエロ」

 ・女声合唱  中田喜直「ねむの花」

                                       (2021.8.13)

コラム「アラカルト・ステージ」

 洋食では、料理の組み合わせが決まっているコース料理や定食に対して、

献立表から一品ずつ好みによって選んで注文する料理のことを「アラカルト(à la carte)」といいます。

転じて、日本では、小説などの短編集をアラカルトということがあります。

合唱団で「アラカルト・ステージ」といえば、まとまった組曲や曲集ではなく、

いろいろな組曲や曲集から1曲ずつ選んで、何曲かで構成するステージのことをいいます。

 岡崎市民合唱団で過去に演奏会で歌ったアラカルト・ステージを並べてみます。

◎第34回演奏会(2018)『朝昼晩の歌Ⅱ』より

 ・荒井由実 「海を見ていた午後」

 ・中村八大 「黄昏のビギン」

 ・いずみたく「夜明けの歌」

◎第31回演奏会(2014)『朝昼晩の歌』

 ・バークス 「夜明けまで(Until The Dawn)」(男声合唱)

 ・中田喜直 「青空の小径」(女声合唱)

 ・高田三郎 「心の四季」より「真昼の星」

 ・兼松正直 「”優しき歌”より」より「午後に」

 ・信長貴富 「夕焼け」

 ・佐々木伸尚「夜の歌」

 ・佐藤眞  「蔵王」より「早春」

◎第30回演奏会(2013)『(春夏秋冬)

 ・滝廉太郎 「花」

 ・中田喜直 「夏の思い出」

 ・小田進吾 「朝」

 ・文部省唱歌「冬の夜」

 ・穂口雄右 「春一番」(キャンディーズ)

 ・ミッシェル・フュガン「Mr.サマータイム」(サーカス)

 ・三木たかし「思秋期」(岩崎宏美)

 ・堀内孝雄 「冬の稲妻」(アリス)

◎第29回演奏会(2012)『東欧の旅』

 ・ジルヒャー「ローレライ」

 ・ポーランド民謡「森へ行きましょう」

 ・ザイツ  「ウ・ボイ」(男声合唱)

 ・コダーイ 「ジプシーがチーズをかじる」(女声合唱)

 ・チャイコフスキー「ぼくらのトロイカ」

 ・ロシア民謡「ともしび」

 ・スメタナ 「モルダウ」

◎第28回演奏会(2010)『Around GS』

 ・「想い出の渚」   (ザ・ワイルドワンズ)

 ・「君だけに愛を」  (ザ・タイガース)

 ・「落葉の物語」   (ザ・タイガース)

 ・「亜麻色の髪の乙女」(ヴィレッジシンガーズ)

 ・「ブルーシャトー」 (ブルーコメッツ)

 ・「さよならをするために」(ビリーバンバン)

◎第27回演奏会(2009)『雨のアンソロジー』

 ・高田三郎 「水のいのち」より「雨」

 ・中田喜直 「霧と話した」(女声合唱)

 ・多田武彦 「雨」より「雨の日に見る」「雨」(男声合唱)

 ・平井康三郎「山頂雷雨」

 ・野田暉行 「みぞれ」

◎第26回演奏会(2008)『川のアンソロジー』

 ・小山章三 「千曲川の水上を恋うる歌」より「水上」

 ・多田武彦 「柳河風俗詩」より「柳河」(男声合唱)

 ・萩原英彦 「抒情三章」より「風に寄せて」(女声合唱)

 ・高田三郎 「水のいのち」より「川」

 ・團伊玖磨 「筑後川」より「河口」

◎第25回演奏会(2006)『若き日の若き夢』(NHKコンクール課題曲集)

 ・三神道雄 「海はこころ」(昭和36年度)

 ・清水脩  「大いなる樫の木に」(昭和41年度)

 ・中田喜直 「ねむの花」 (昭和63年度・女声合唱)

 ・清水脩  「月光とピエロ」より「秋のピエロ」(昭和59年度・男声合唱)

 ・大中恩  「旅に出よう」(昭和51年度)

 ・平吉毅州 「わが里程標(マイルストーン)」(昭和56年度)

◎第21回演奏会(2001)『NHKコンクール課題曲集』

 ・三神道雄 「海はこころ」(昭和36年度)

 ・磯部俶  「郷愁」    (昭和40年度)

 ・高木東六 「赤い機関車」(昭和45年度)

 ・広瀬量平 「海はなかった」(昭和50年度)

 ・佐藤眞  「みえない樹」(昭和52年度)

 ・野田暉行 「みぞれ」   (昭和58年度)

                                                      (2021.8.16)

コラム「岡崎市民合唱団誕生のころ」

 岡崎市民合唱団が誕生して40年余りがたちました。

設立当時のことを知る人がだんだん少なくなり、知っている人の記憶もだんだん薄れてきています。

忘れないうちに、当時のことを思い出しながら簡単に書き留めてみます。

 団誕生の起点となったのは当時の教育長だった鈴村正弘氏でした。

鈴村氏から現職の教員、教育委員会に働きかけがあり、当時マインクライネルコールという合唱団で指揮者をしていた私(兼松)にも声がかかり、

1978年2月に、当時伊賀町にあった「働く婦人会館」に集まり、設立準備会が発足しました。

団長には愛知教育大学元学長の伊藤郷平氏、事務局には教職を定年退職された高瀬忠三氏と、音楽友の会の兵藤進一氏と織田義夫氏、

団内指揮者に現職の音楽教員の後藤和彦氏、正指揮者には私が推薦した水谷昌平氏にお願いすることになりました。

名古屋の水谷氏のお宅を訪問し、指揮者を引き受けていただき、練習の方針などを話し合いました。

第1回の演奏会のメインの曲は何がいいかという話になり、そのころ私が愛教大混声合唱団の演奏会で聞いたことがある

グノーの「聖チェチーリア荘厳ミサ」を推したところ、それがいいだろうということになりました。

発声指導は、男声は後藤和彦氏、女声は声楽家の松田真谷子氏が担当することに、

ピアノ伴奏は、当時まだ高校生だった安藤ちとせさんがすることになりました。

団の設立総会は1978年8月、働く婦人会館で行われました。

 後藤氏が指揮する曲は、林光編曲の「日本叙情歌曲集」でした。

ところが、途中で後藤氏が都合で来られなくなり、私が代わって指揮することになりました。

ということで、第1回の演奏会の曲目は

・1. 大中恩 「風のいざない」     (指揮・水谷昌平、ピアノ・安藤ちとせ)

・2. 林光編曲「日本叙情歌曲集」    (指揮・兼松正直、ピアノ・安藤ちとせ)

・3. グノー 「聖チェチーリア荘厳ミサ」(指揮・水谷昌平、ピアノ・安藤ちとせ)

となりました。1979年7月に岡崎市民会館で開催されました。

 

私の記憶違いもあるかもしれません。気がつかれた方はご指摘ください。

                                          (2021.8.19)

コラム「親睦旅行」

 岡崎市民合唱団では、日常の合唱練習だけでなく、親睦旅行もたびたび行ってきました。

手元にある資料から、過去に行った親睦旅行(と練習旅行)の一部を紹介します。

 

・1980年8月 八ヶ岳

・1981年3月 伊豆天城

・1983年8月 八ヶ岳

・1993年 5月 愛知県鳳来町湯谷温泉

・1994年 5月 長野県白馬村八方

・1995年10月 長野県茅野市蓼科

・1998年 5月 静岡県伊東市城ケ崎

・1998年 8月 ヨーロッパ(ザルツブルク、リンツ、ウィーン、ブダペスト)

・1999年 7月 長野県山ノ内町竜王温泉

・2000年8月 ヨーロッパ(ザルツブルク、ハイリゲンブルート、ヴェローナ、ミラノ)

・2000年10月 長野県茅野市蓼科

・2001年11月 岐阜県美濃市大矢田もみじ谷

・2002年 8月 ヨーロッパ(ウィーン、バード・イッシュル、ザルツブルク)

・2002年11月 滋賀県長浜市

・2004年12月 兵庫県龍野、三木、神戸

・2005年 8月 ヨーロッパ(ベルリン、ライプツィッヒ、ドレスデン、プラハ)

・2005年11月 富山県五箇山、八尾、石川県金沢

・2007年10月 長野県千曲、上田、小諸

・2009年11月 静岡県浜松市楽器博物館、掛川市花鳥園

・2010年 5月 静岡県熱海温泉、箱根

・2013年11月 愛知県犬山市明治村(ザビエル天主堂で演奏)

・2014年11月 愛知県幸田町遠峰

・2017年 6月 愛知県新城市作手鬼久保

・2018年11月 愛知県西尾市吉良

                               (2021.8.22)

コラム「宗教曲」

 岡崎市民合唱団ではこれまでの演奏会に必ず宗教曲を演奏してきました。

これは、団発足のときから、合唱音楽の基礎として宗教曲を位置付けてきたためです。

これまでの演奏会で演奏してきた宗教曲を、作曲家別に並べてみます。(アンコールなどは除く)

 

◎モーツァルト

 ・「戴冠式ミサ・ハ長調」K317     第2回、第23回

 ・「雀のミサ・ハ長調」 K220     第8回、第28回

 ・「オルガンソロ・ミサ・ハ長調」K259 第12回

 ・「レクィエム・ニ短調」K626     第13回、第34回

 ・「小クレドミサ・ヘ長調」K192    第16回、第33回

 ・「シュパウルミサ・ハ長調」K258   第17回

 ・「荘厳ミサ・ハ長調」 K337     第32回

 ・「ヴェスペレ・ハ長調」K339     第35回

◎シューベルト

 ・「ミサ曲第2番・ト長調」 D167   第11回、第18回

 ・「ミサ曲第4番・ハ長調」 D452   第16回

 ・「ミサ曲第3番・変ロ長調」D324   第25回

◎ヴィヴァルディ

 ・「グローリア・ニ長調」RV589    第3回、第27回

 ・「クレド・ト長調」  RV591    第24回

◎ハイドン

 ・「テレジアミサ・変ロ長調」     第8回

 ・「聖ニコライミサ・ト長調」     第29回

◎ベートーヴェン

 ・「ミサ曲ハ長調」Op86       第5回、第26回、次回(第36回)(予定)

◎グノー    ・「聖チェチーリア荘厳ミサ」    第1回、第10回

◎フォーレ   ・「レクィエム」          第14回、第30回

◎フランク   ・「ミサ曲・イ長調」OP12      第4回

◎シャルパンティエ ・「真夜中のミサ」       第6回

◎ケンプター  ・「パストラールミサ」       第9回

◎ブルックナー ・「コラールミサ」         第19回

◎ヘンデル   ・「メサイア」           第20回

◎パレストリーナ ・「ミサ・ブレヴィス」      第21回

◎ウィリアム・バード ・「四声のためのミサ」    第22回

◎ドヴォルザーク ・「ミサ曲・ニ長調」OP86     第31回

                                                                         (2021.8.24)

コラム「邦人組曲」

 邦人、つまり日本人の作曲家の作曲した合唱組曲は名曲がたくさんあります。

とりわけ、高田三郎の「水のいのち」、「心の四季」、佐藤眞の「旅」などは、

混声合唱団であれば、どの合唱団も一度は歌ったことがある名曲だと思います。

男声合唱団なら清水脩の「月光とピエロ」、多田武彦の「雨」、「柳河」、

女声合唱団なら三善晃の「三つの叙情」、中田喜直の「美しい訣れの朝」、「蝶」

などが定番です。

 

岡崎市民合唱団がこれまで演奏会で歌った邦人の合唱組曲を作曲家別に挙げてみます。

 

◎高田三郎

 ・「水のいのち」      第16回

 ・「心の四季」       第18回、第33回

◎佐藤眞

 ・「旅」          第30回

 ・「蔵王」         第32回

 ・「土の歌」        第15回

◎大中恩

 ・「遥かなものを」     第19回

 ・「島よ」         第28回

 ・「風のいざない」     第1回

 ・「飛んでゆきましょう」  第5回

◎三善晃  ・「三つの叙情」 第12回(女声合唱を混声合唱に編曲したもの)

◎清水脩  ・「焔の歌」   第9回

◎中田喜直 ・「都会」    第24回

◎新実徳英 ・「幼年連祷」  第23回

◎團伊玖磨 ・「筑後川」   第17回

◎小林秀雄 ・「落葉松」   第11回

◎岩河三郎 ・「富山に伝わる三つの民謡」 第7回、第25回

◎池辺晋一郎

 ・「六つの子守歌」     第9回

 ・「時は流れても」     第10回

◎広瀬量平 ・「海の詩」   第2回

◎三枝成彰 ・「川よとわに美しく」 第6回

◎兼松正直 ・「“優しき歌”より」 第35回

                                          (2021.8.27)

コラム「合唱曲と詩」

 合唱曲に詩(詞)はつきものです。

歌詞のない合唱曲もあります。例えば、コダーイの「山の夜」はヴォカリーズで構成されており、歌詞がなくても名曲です。

また、間宮芳生の「合唱のためのコンポジション第1番」のように、意味のない掛け声や合いの手で合唱曲を構成することもあります。

しかし、合唱の最大の魅力は言葉の意味の深さや美しさを音楽で表現することにあります。

邦人合唱作品のテキストとなった詩に注目してみると、作曲される以前に詩そのものが素晴らしい作品があります。

岡崎市民合唱団が歌った曲の中から、個人的に詩が特に気に入っている作品を詩人ごとにまとめて並べてみます。

◎立原道造

 ・「三つの叙情」から「或る風に寄せて」、「ふるさとの夜に寄す」       第12回

 ・「抒情三章」から「風に寄せて」                      第26回

 ・「”優しき歌”より」から「序の歌」,「朝に」,「午後に」,「夢見たものは・・・」 第35回

◎中原中也

 ・「三つの叙情」から「北の海」                       第12回

 ・「若き日の歌」から「サーカス」、「帰郷」、「湖上」            第29回

◎吉野弘  ・「心の四季」(全曲)                      第18回、第33回

◎別役実

 ・「六つの子守歌」(全曲)                         第9回

 ・「まるで世界」                              わんぱくフェスタ2010

◎吉原幸子 ・「幼年連祷」(全曲)                      第23回

                                                 (2021.8.31)

コラム「ポピュラー音楽による合唱」

 岡崎市民合唱団ではポピュラー音楽による合唱をしばしば演奏会で取り上げて演奏しています。

よく知られた曲は客席との一体感が増し、大きな演奏効果が得られます。

しかし、編曲がよくないと合唱としての魅力を表現できません。

前回の演奏会で演奏し、次回の演奏会で取り上げる予定の横山潤子の編曲による曲集は、

新鮮なタッチの編曲で、合唱の魅力を十分に表現しています。

最近の演奏会で歌われたポピュラー音楽による合唱のステージを並べてみます。

 

◎第35回演奏会(2019)『九ちゃんが歌った歌』(横山潤子・編曲)より

 ・中村八大 「上を向いて歩こう」

 ・中村八大 「明日があるさ」

 ・いずみたく「ともだち」

 ・いずみたく「見上げてごらん夜の星を」

 ・三木たかし「心の瞳」

◎第34回演奏会(2018)『朝昼晩の歌Ⅱ』(兼松正直・編曲)より

 ・荒井由実 「海を見ていた午後」

 ・中村八大 「黄昏のビギン」

 ・いずみたく「夜明けの歌」

◎第33回演奏会(2016)『美空ひばり作品集』(信長貴富・編曲)

 ・見岳章  「川の流れのように」

 ・原信夫  「真っ赤な太陽」

 ・上原げんと「港町十三番地」

 ・原六朗  「お祭りマンボ」

 ・古賀政男 「柔」

 ・小椋佳  「愛燦燦」

◎第31回演奏会(2014)『筒美京平の世界』(兼松正直・編曲)

 ・「バラ色の雲」     (ヴィレッジシンガーズ)

 ・「ブルーライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)

 ・「また逢う日まで」   (尾崎紀世彦)

 ・「17歳」        (南沙織)

 ・「雨だれ」       (太田裕美)

 ・「よろしく哀愁」    (郷ひろみ)

 ・「ロマンス」      (岩崎宏美)

 ・「飛んでイスタンブール」(庄野真代)

 ・「たそがれマイラブ」  (大橋純子)

 ・「AMBITIOUS JAPAN」(TOKIO)

 ・「サザエさん」     (「みんなで歌おう」のコーナー)

◎第30回演奏会(2013)『(春夏秋冬)』(兼松正直・編曲)

 ・穂口雄右 「春一番」  (キャンディーズ)

 ・ミッシェル・フュガン「Mr.サマータイム」(サーカス)

 ・三木たかし「思秋期」  (岩崎宏美)

 ・堀内孝雄 「冬の稲妻」 (アリス)

◎第28回演奏会(2010)『Around GS』(兼松正直・編曲)

 ・「想い出の渚」    (ザ・ワイルドワンズ)

 ・「君だけに愛を」   (ザ・タイガース)

 ・「落葉の物語」    (ザ・タイガース)

 ・「亜麻色の髪の乙女」 (ヴィレッジシンガーズ)

 ・「ブルーシャトー」  (ブルーコメッツ)

 ・「さよならをするために」(ビリーバンバン)

◎第24回演奏会(2005)『東京混声合唱団愛唱曲集2』

 ・「コンドルは飛んで行く」(ロブレス、ミルヒバーグ)

 ・「遠くへ行きたい」   (中村八大)

 ・「グリーンスリーヴズ」 (イングランド民謡)

 ・「翼をください」    (村井邦彦)

◎第14回演奏会(1992)『ディズニーの世界』(青島広志・編曲)

 ・「It's A Small World」

 ・「Mickey Mouse March」

 ・「La La Lu」

 ・「High Ho High Ho」

◎第10回演奏会(1988)『ちょっと前の歌謡曲』(兼松正直・編曲)

 ・穂口雄右 「春一番」  (キャンディーズ)

 ・ミッシェル・フュガン「Mr.サマータイム」(サーカス)

 ・三木たかし「思秋期」  (岩崎宏美)

 ・堀内孝雄 「冬の稲妻」 (アリス)

 ・小田和正 「さよなら」 (オフコース)

 ・小林明子 「恋におちて」(小林明子)

 

                                    (2021.9.1)

コラム「岡崎市からの依頼による出演」

 岡崎市民合唱団はその設立が岡崎市当局の主導によって進められた経緯から、

岡崎市からの依頼による市の行事への出演がたくさんあります。

とりわけ、1月1日の新年交礼会、7月1日の市政記念日の記念式典には、

団設立当初から毎年出演してきました。列挙します。

 

◎1979年・1月1日 新年交礼会    ・5月5日 太陽の城完成記念行事

◎1980年・1月1日 新年交礼会    ・1月15日 成人式式典    ・3月1日 竜美丘会館竣工記念行事

◎1981年・1月1日 新年交礼会    ・1月15日 成人式式典    ・7月1日 市制65周年記念式典

◎1982年・1月1日 新年交礼会    ・1月15日 成人式式典    ・7月1日 市制66周年記念式典

◎1983年・1月1日 新年交礼会    ・1月15日 成人式式典    ・7月1日 市制67周年記念式典

◎1984年・1月1日 新年交礼会    ・1月15日 成人式式典    ・7月1日 市制68周年記念式典

◎1985年・1月1日 新年交礼会    ・1月15日 成人式式典    ・7月1日 市制69周年記念式典

◎1986年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制70周年記念式典(?)

◎1987年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制71周年記念式典    ・12月17日 甲山会館落成記念行事

◎1988年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制72周年記念式典

◎1989年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制73周年記念式典    ・10月11日 町村合併35周年・人口30万人達成記念祝賀会

◎1990年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制74周年記念式典

◎1991年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制75周年記念式典

◎1992年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制76周年記念式典

◎1993年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制77周年記念式典

◎1994年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制78周年記念式典    ・8月21日 太陽の城15周年記念フェスティバル

◎1995年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制79周年記念式典

◎1996年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制80周年記念式典

◎1997年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制81周年記念式典

◎1998年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制82周年記念式典    ・8月22日 太陽の城わんぱくフェスタ

◎1999年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制83周年記念式典    ・8月28・29日 太陽の城20周年記念フェスティバル

◎2000年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制84周年記念式典

◎2001年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制85周年記念式典

◎2002年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制86周年記念式典    ・8月25日 太陽の城わんぱくフェスタ

◎2003年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制87周年記念式典

◎2004年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制88周年記念式典    ・8月29日 わんぱくフェスタ

◎2005年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制89周年記念式典    ・8月28日 わんぱくフェスタ

◎2006年・1月1日 新年交礼会(?) ・7月1日 市制90周年記念式典    ・8月27日 わんぱくフェスタ

◎2007年・1月1日 新年交礼会         ・7月1日 市制91周年記念式典    ・8月26日 わんぱくフェスタ

◎2008年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制92周年記念式典    ・8月24日 わんぱくフェスタ

◎2009年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制93周年記念式典    ・8月23日 わんぱくフェスタ

◎2010年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制94周年記念式典    ・8月29日 わんぱくフェスタ

◎2011年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制95周年記念式典

◎2012年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制96周年記念式典

◎2013年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制97周年記念式典

◎2014年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制98周年記念式典

◎2015年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制99周年記念式典

◎2016年・1月1日 新年交礼会    ・9月4日 市制100周年記念式典    ・10月2日 岡崎市民会館杮落とし記念公演

◎2017年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制101周年記念式典

◎2018年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制102周年記念式典

◎2019年・1月1日 新年交礼会    ・7月1日 市制103周年記念式典

◎2020年・1月1日 新年交礼会

(この後は新型コロナ感染防止のため、式典は中止されています。)

(?)の部分は団の記録が紛失しています。記録をお持ちの方はお知らせください。

                                                       (2021.9.4)

コラム「合唱団とコンクール」

 コンクールに出るか出ないかは合唱団にとって、一つの大きな選択だと思います。

合唱のコンクールにもいろいろありますが、地区大会から全国大会につながるコンクールとしては、

全日本合唱連盟主催の「全日本合唱コンクール」と、小・中・高等学校向けの、

NHK主催の「NHK全国学校音楽コンクール」があります。

また、中部大会までですが、「CBCこども音楽コンクール」もこの地方では小中学校の参加が多いようです。

さて、合唱団にとって、コンクールに参加する意義は何でしょうか。

他の合唱団と優劣を競い、自分の団の実力を試す機会ととらえることもできます。

また、課題曲がある場合、同じ曲を他の団がどのような解釈で、どんな歌い方をするかを参考にして、

自分の団の実力の向上を図る手立てとすることもできます。

コンクールでいい成績をとることで団の知名度を上げ、それが団員募集に役立つということもあります。

ただ、優劣を競うことに抵抗がある人もあります。特に、実力的によい成績が望めない場合は抵抗が多いと言えます。

コンクールの参加にかかる負担もいろいろあります。参加費や交通費などの諸経費のほかに、

団の活動の中のかなり大きいエネルギーをコンクールのために費やさなければいけなくなります。

 岡崎市民合唱団は基本的にコンクールには出場しない方向をとっています。

ただし、実は一度だけコンクールに参加したことがあります。

どういういきさつだったのか全くわからないのですが、1999年10月17日に、豊明市のフジタホールで行われた、

「第10回市民合同音楽フェスティバル・合唱コンクール」に参加することになりました。課題曲はなく、自由曲のみで、

・ヘンデル作曲「メサイア」より「ハレルヤ」

を歌って、「学内審査委員賞」を受賞しました。43団体が参加したようですが、他団体の演奏を聴くこともなく、

この賞がどんな位置にあるのかもわからないまま終わりました。

なお、このコンクールは、発起人の藤田学園の総長が亡くなったために、第10回で最終回となったようです。

                                                  (2021.9.7)

     

コラム「無伴奏の合唱曲」

 無伴奏の合唱曲を「アカペラ」ということがあります。元々は「a cappella」で、「教会にて」という意味です。

 Cappellaは英語のchapel(チャペル、教会堂)と同じ語源の言葉です。

これから派生して、ポピュラー音楽でも伴奏なしで歌う歌を「アカペラ」というようになっています。

合唱音楽の元をたどると無伴奏の教会音楽にたどり着きます。それゆえ、合唱の基本はアカペラということになります。

岡崎市民合唱団でもアカペラの曲はいくつか歌ってきました。

◎パレストリーナ 「ミサ・ブレヴィス」       第21回

◎ウィリアム・バード 「四声のためのミサ」     第22回

は、アカペラだけで一つのステージとなった曲です。

また、男声合唱のレパートリーは、伴奏付きよりもアカペラの方が多いくらいです。

岡崎市民合唱団でも、アラカルト・ステージの中で、歌ってきました。

◎清水脩 「月光とピエロ」より「秋のピエロ」    第25回

◎多田武彦「柳河風俗詩」より「柳河」        第26回

◎多田武彦「雨」より「雨の日に見る」、「雨」    第27回

◎ザイツ 「ウ・ボイ」               第29回

◎バークス「夜明けまで(Until The Dawn)」      第31回

女声合唱では無伴奏の曲はそんなに多くないのですが、演奏会では、

◎コダーイ「ジプシーがチーズをかじる」       第29回

を歌いました。

外国の作曲家の合唱作品には、宗教曲を中心に、無伴奏の名曲がかなりあります。

しかし、邦人(日本人)の合唱曲はピアノ伴奏のついた曲が多いようです。

私の好きな無伴奏混声合唱の邦人作品は

・三善晃「嫁ぐ娘に」、「子どもの季節」、「地球へのバラード」

・小林秀雄「優しき歌」

・大中恩「煉瓦色の町」、「無伴奏の四つのうた」

などです。

                               (2021.9.12)

コラム「シアターピース」

 合唱団の演奏会で「シアターピース」を上演することがあります。

「シアターピース」とは、文字通り舞台作品で、歌(合唱)だけでなく演技を伴うステージのことです。

合唱劇やミュージカルを上演することもこれに当たります。

シリアスな作品では、例えば、柴田南雄の「追分節考」などもよく上演される作品です。

これは、合唱団のメンバー(と尺八)が客席の間を歩き回り、チャンスオペレーション

(偶然性によってでき上がる音楽)の形で、いくつかのフレーズを歌うという仕組みでできています。

合唱団がシアターピースを上演するには、歌だけでなく演技まで鑑賞に堪えるだけのレベルに仕上げるために、緻密な練習が必要です。

そのためには十分な練習時間が必要となります。

岡崎市民合唱団は、週1回の練習しかなくて、平均年齢も高いことから、シアターピースを上演することはなかなか難しいようです。

それでも、岡崎市民合唱団で演奏会形式による合唱構成劇を演奏したことはあります。

それが、第32回の演奏会で演奏した「ねずみのものがたり」です。

この曲はもともと、ある絵本のストーリーをもとにした内容で、別の曲名でした。

しかし、上演するにあたって、著作権者との調整がうまくいかず、題名と内容を変更することになりました。

                                                 (2021.9.19)

コラム⑰「マスクで合唱」

 新型コロナの影響で多くの合唱団の活動が影響を受けていて、苦労しています。

岡崎市民合唱団も活動を停止しています。活動を再開しても、練習中はマスクを着用することになります。

先ほどNHK全国学校音楽コンクールの愛知県コンクールをテレビで見ました。

まだ合唱部の活動そのものがちゃんとできていないようで、小学校の部は参加校が3校しかありません。(3校とも岡崎市。)

小・中・高すべての団体が全員マスクを着けて歌っていました。視覚的には異様な感じですが、感染防止のためには仕方ありません。

マスクが高周波の音をフィルターのようにカットするせいか、言葉が聞き取りにくいように思えました。

(子音は高周波の音が中心になります。)口が見えないせいばかりではありません。

早く普通の形で心置きなくみんなが合唱を楽しめるようになればいいと思います。

                                               (2021.9.23)

コラム⑱「著作権・上演権」

 前々回のコラムで、第32回の演奏会で演奏した「ねずみのものがたり」の題名と内容を変更したことを書きました。

著作権・上演権をめぐるいきさつについてもう少し詳しく書いてみます。

ある絵本がおもしろかったので、これを、その絵本の題名と同じ名前の合唱組曲にしようと思いつきました。

絵本のストーリーをもとにして自分で詩を作り、曲をつけ、合唱曲にしました。

岡崎市民合唱団の演奏会で演奏しようと思いましたが、著作権者の承認が必要だろうと思って、

絵本の出版社に連絡をして、どんな手続きが必要か尋ねてみました。

すると、絵本の作者(外国人)の著作権を代理する会社に連絡を取るように言われました。

この会社の担当者にあれこれと説明して1か月半もの長い間やり取りをしました。

そのあと、別の会社が引き継ぐことになり、もう一度最初から構想を説明すると、「上演権」があるので、

「(入場料×予想される入場者数(※))の10%、プラス事務所の手数料としての3万円余り、

合計、少なくとも7万円余り」を請求されました。(※:会場は幸田町民会館を予定していました。)

もともと赤字覚悟の演奏会でしたが、会場費や印刷費のほかにミサ曲にオーケストラもつけることになっていたので、

そんな金額は出せませんと断り、この曲の演奏は取りやめとなりました。

代わりに、「ねずみの嫁入り」のストーリーを盛り込んだ「ねずみのものがたり」というステージとして、

幸田町文化振興協会少年少女合唱団の賛助出演を得て演奏することになりました。

                                               (2021.9.25)

コラム「印象に残る演奏会」

 シアターピースで思い出したのですが、昔聴きに行った演奏会で強く印象に残っているものがあります。

それは、私がまだ大学生だった1973年ごろ、名古屋の「愛知文化講堂」で行われた「ハトの会」の演奏会です。

(その後、「愛知文化講堂」は取り壊されました。現在、その跡地は「オアシス21」となっています。)

「ハトの会」は山城祥二氏の主催する合唱団で、東欧(ブルガリアやグルジア(現在のジョージア))の

民族発声を取り入れたりして、合唱団としてはかなり独特の活動をしていました。

東欧民謡によるポリフォニーの女声合唱や日本のわらべ歌による二重唱など多様な演奏も面白かったのですが、

この演奏会で特に強烈な印象を受けたのが「恐山」(おそれざん)でした。合唱曲というより、シアターピースで、

おどろおどろしい絶叫やうなり声や数珠の音や打楽器群(ドラムス)、電子音(エレキギター)などが取り入れられており、

照明効果もあり、夢に出てきそうな、かなりショッキングな演奏でした。

また、バリ島の音楽劇、「ケチャ」の一部も上演されました。

「ハトの会」はその後、「芸能山城組」という名前になり、「ケチャまつり」をあちこちで開催したりして有名になりました。

その後、春日井の西武で行われたケチャまつりを見に行ったこともありますが、

街中(まちなか)にバリ島の民族舞踊劇が繰り広げられて、とても面白い世界が生れていました。

                                               (2021.9.28)

コラム⑳「印象に残る演奏会・その2」

 他にも印象に残った演奏会があります。時期は、はっきり覚えてはいませんが、70年代半ばだったと思います。

会場は名演小劇場だったと思いますが、ひょっとしたら中電ホールだったかもしれません。

「現代音楽の夕べ」というようなテーマの演奏会で、初めに演奏されたのが矢代秋雄のピアノソナタで、なかなかいい曲だなという印象がありました。

その次が、現在ではもうすっかり有名になったジョン・ケージの「4分33秒」でした。これはたぶん名古屋初演だったと思います。

ピアニストがピアノの前に座って、じっとしていたり、ピアノのふたを開けたり閉めたり、いろいろなしぐさをしたりして

4分余りを何も弾かずにいるという「曲」です。僕は音楽雑誌でこの曲のことを知っていたので、聴衆のざわざわする反応を楽しみました。

そのほかに、洞谷吉男氏の即興演奏がありました。無伴奏のヴォカリーズで、ちょっと日本的な印象のメロディーだった印象があります。

(即興演奏というと、ジャズのアドリブがすぐ思いつきますが、クラシックでも即興演奏は昔からよくあり、

ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲のカデンツァも、もとはソリストが即興で演奏したものだったようです。)

 名演と言われるようないい演奏もたくさん聞いたのですが、50年近く昔の、こんな印象深い演奏会をありありと思い出しました。

                                                (2021.10.5)

コラム「すぎやまこういち氏」

 作曲家のすぎやまこういち氏が最近(2021.9.30)亡くなったと、今日(2021.10.7)発表があったようです。

すぎやま氏は、ザ・タイガースなどのグループサウンズやザ・ピーナッツに楽曲を提供したポップスの作曲家であると同時に、

「ドラゴンクエスト」シリーズなどのゲーム音楽の第一人者としても有名で、

日本音楽著作権協会の役員として、著作権の保護にも力を入れていた人物です。

岡崎市民合唱団でも、第28回演奏会(2010)の、『Around GS』というステージで

 ・「君だけに愛を」   (ザ・タイガース)

 ・「落葉の物語」   (ザ・タイガース)

 ・「亜麻色の髪の乙女」 (ヴィレッジシンガーズ)

の3曲を歌っています。

親しみやすいメロディーで、構成のしっかりした曲を作る作曲家でした。冥福を祈りたいと思います。

                                            (2021.10.7)

コラム㉒「思い出深い合唱の演奏会」

 私自身がステージに立った合唱の演奏会で印象深いのは、名古屋大学グリーンハーモニー

(なんと今年1月で活動を終了してしまったということですが)に入団した年度の定期演奏会です。

増田順平氏を客演指揮者に迎え、コダーイの「マトラの風景」を歌いました。

なかなかいい演奏だったのですが、途中のテノールのソロを違う音程で歌ってしまい

(学生がソリストを務めていました。)合唱全体の和音が崩れてしまいました。

このとき指揮者の増田順平氏は口笛で次のテノールソロの出だしの音を示し、ソロが正しく出て、

全体の合唱も正しい和音に戻りました。プロの指揮者のとっさの手際に感心しました。

同じ演奏会で、團伊玖磨の「筑後川」を学生指揮者の指揮で歌いました。

ピアノ伴奏も学生が務めたのですが、譜めくりの人と打ち合わせができていなかったようで、失敗がありました。

4曲目の「川の祭」は、「どんどんどどんどー」まで歌って、リピート記号で最初に戻るのですが、

譜めくりの人が1枚めくって戻してうろうろしてしまいました。(ほんとは3枚めくって戻さなければならない。)

ピアニストは、最初の「チャラララー」に戻って、楽譜を見ずに、必死の形相で(バスを歌っていた私から顔がよく見えました。)

最初の1ページを暗譜で弾き切って長い休符が来てから自分で楽譜をめくりました。

最後のステージはウインナポルカ集で、ヨハンシュトラウスの「アンネンポルカ」、「ピチカートポルカ」、「トリッチトラッチポルカ」などを歌いました。

そして、(曲順は忘れてしまいましたが)「狩り」と、アンコールの「山賊のギャロップ」では、ピストルの音を入れて楽しく歌いました。

初めて、ホールでたくさんの聴衆を前に合唱を歌った思い出のステージです。あれからもう50年たちました。

                                                (2021.10.11)

コラム㉓「増田順平氏」

 増田順平氏にはその後も名古屋大学グリーンハーモニーの定期演奏会に客演指揮者として、

三善晃の「子どもの季節」などの曲を振っていただきました。

「子どもの季節」は子どもの詩に三善晃が無伴奏の混声合唱曲として作曲した作品です。

増田順平氏はこの曲を軽妙な指揮で仕上げてくれました。声を明るく響かせることをいつも要求していました。

私は大学を卒業したのちも高校の合唱部の指揮をしたりして合唱にかかわってきましたが、

私の合唱へのかかわり方には増田氏の指導が根底にあります。

その後、私は東京の恵比寿にある「合唱センター」での講習会に参加して増田氏の指導を受けたりしました。

増田氏は東京混声合唱団の創設メンバー(1956年創設)で、指導的な立場を務め、

その後、今度は日本合唱協会を創設(1963年)してコンサートマスターを務め、団内指揮者としても活躍しました。

長年にわたって多くのアマチュア合唱団を指揮し、現在でも活躍する、日本を代表する合唱指揮者です。

また親しみやすい曲の合唱曲への編曲も多く、出版された編曲集「からたちの花」は多くの合唱団で歌われています。

岡崎市民合唱団でも第5回演奏会(1983年)でこの曲集を歌ったことがあります。

                                         (2021.10.17)

コラム「山田一雄氏」

 合唱センターは日本合唱連盟が運営する、東京の恵比寿にある施設で、合唱に関する多くの資料があり、

小ホールで、発声法や指揮法、音楽理論など、いろいろな講習会が開かれていました。

(私は最近、合唱連盟に直接は関わっていないので、現在も合唱センターがあるのか、講習会が開かれているのかは知りません。)

ここで私が受けた講習の中で、特に印象に残っているのが山田一雄氏の指揮法講座です。

山田一雄氏(私が高校生の頃には確か和男という字だったと思いますが)は20世紀の日本を代表する指揮者で、

NHK交響楽団、東京都交響楽団をはじめ、多くのプロやアマチュアのオーケストラを指揮し、

合唱にも、日本合唱協会など多くの合唱団にかかわってきました。

また、東京芸術大学で指揮科の教授として多くの指揮者を育ててきました。

増田順平氏も山田一雄氏に指揮法を師事しています。

私が受けた合唱センターでの指揮法講座は、1989年に行われたものです。

(山田一雄氏は1991年に亡くなっていますので最晩年に近いレッスンということになります。)

ブラームスの「愛のワルツ集」や萩原英彦の「光る砂漠」などをテキストに、

基礎的な棒のテクニックから曲のニュアンスの出し方まで、実践的な合唱指揮の方法を教えていただきました。

その中で山田氏が特に強調されたのは、曲のアナリーゼの大切さでした。

和音構成、歌詞のとらえ方、メロディーを対位法的にとらえる考え方などを学びました。

「光る砂漠」の第7曲「秋の午後」では、歌詞の流れの中での変拍子の振り方などを示した後、「若いきれいな奥さんが…」という歌詞のところで、

(早世した詩人・矢沢宰が16歳のときに書いた詩であることを踏まえて)

「ちょっとませた子ですね」とほほえみながらユーモラスに言われたことを思い出します。

                                          (2021.10.23)

コラム「落葉松」

 今朝の朝日新聞の「朝日歌壇」に次の短歌が載っていました。

・遠出などかなわぬ昨日今日なれば「落葉松」を聴く聴きつつ眠る  (茨木市)瀬川幸子

 「落葉松」は野上彰の詩に小林秀雄が作曲した歌曲で、のちに女声合唱曲に、また混声合唱曲に編曲されています。

この短歌の作者が聴きながら眠ったのは歌曲でしょうか。それとも合唱曲でしょうか。

 合唱曲集「落葉松」は、岡崎市民合唱団でも第11回演奏会(1989)で歌ったことがあります。

曲集にはほかに、「飛騨高原の早春」「あなたとわたしと花たちと」「瞳」の3曲も含まれています。

曲集のタイトルともなった4曲目の「落葉松」は、

野上彰が、自身の書いた小説「軽井沢物語」の巻末に載せた、軽井沢の落葉松林に寄せて作った抒情的な詩に、

小林秀雄がロマンティックなメロディーを付けた歌曲がもととなり、

作曲者自身によって表情豊かな合唱曲(女声・混声。男声合唱もあるということですが、私は聴いたことがありません。)に編曲されています。

曲の後半に、かなり難度の高いオブリガードがついています。

最高音が高いB♭なので、ソリストはかなり気合を入れて歌うことになります。

 元の短歌に戻ると、コロナ禍の中、遠くに出かけることもできない中、

「落葉松の 小鳥の雨に / わたしの乾いた眼が濡れる」

と歌う歌を聴きながら、作者は、行きたかった軽井沢を思い浮かべて眠りにつくのでしょうか。

                                          (2021.10.24)

コラム㉖「合唱団『弥彦』」

 山田一雄氏のレッスンと同じ年の夏に、私は、合唱団「弥彦」という合唱講習会に参加しました。

これは、新潟県の弥彦というところで合宿(2泊3日)をして、いろいろな合唱曲を歌って学び合うというものです。

その年はゲストに三善晃氏を迎えるということを知って、参加しようと思いました。

愛知県から新潟県に行くのは、陸路ではとても不便で、結局、飛行機で行くことにしました。

しかし、結果的には、三善晃氏は、国体の委嘱曲の作曲が締め切りに間に合わないため、

この年は弥彦に来ないことになってしまい、残念な思いをしました。

・ウィリアム・バードのアカペラの曲「Ave verum corpus」や

・三善晃の「地球へのバラード」より「私が歌う理由」「沈黙の名」

など数曲を、譜読みから始めて、少しの練習時間で一応演奏効果のある形に仕上げるのは大変でした。

それでも、栗山文明氏の指揮と田中瑤子・浅井道子両氏のピアノで歌えたのはいい経験になりました。

この講習会は毎年行われていたのですが、新型コロナのため昨年度から取りやめになり、

今後は開催しないことになったようです。残念です。

                                     (2021.10.28)

コラム「サザエさん」

 昨日の朝日歌壇にこんな歌が載っていました。

・あの頃はカツオが歳上だったのに波平さんが今や歳下    (戸田市)蜂巣幸彦

 「サザエさん」はだいぶ昔から(資料によると1946年から)新聞に連載されていた漫画ですが、

テレビアニメとして放映されるようになったのが1969年からだそうです。

新聞に4コマ漫画が掲載されたのは1974年までですが、テレビアニメは現在も放映されています。

年齢設定は、サザエさんが24歳、カツオは小学5年生の11歳、波平は54歳だということです。

例えば、1970年に10歳だった人(1960年生まれ)はカツオより年下です。

2021年ではこの人は61歳になり、波平よりかるく年上ということになります。

短歌の作者は1960年ごろから66年ごろの間に生まれた人だと思われます。

漫画やアニメの登場人物は年を取らないのに、日々生活している私たちは、否応なく年を重ねていきます。

昔の美少女が今はおばあさんなどということは残酷だけど当たり前のことです。

 テレビアニメの「サザエさん」の主題歌は、筒美京平作曲ということで、

岡崎市民合唱団の第31回演奏会(2014年)において、「筒美京平の世界」というステージの後、

「みんなで歌おう」のコーナーで、客席のお客様と一緒に歌ったことがあります。

                                     (2021.11.1)

コラム「ヨナぬき」

 長く遠ざかっていた「みやこわすれ」の練習も昨日(11月2日)やっと再開しました。

昨日の練習のとき、この曲は「ヨナぬき」の音階でできていると言いました。

「ヨナぬき」とは音階の4番目と7番目の音を使わないという意味です。(4・7抜きということ。)

つまり、長調で(移動ドでいうと)ファとシを抜いて、ドレミソラドでできているということです。

組曲「みやこわすれ」の中の4曲目の「みやこわすれ」もそうですが、2曲目の「はっか草」も「ヨナぬき」でできています。

つまり、主旋律には最初から最後まで(移動ドで)ファとシが一度も使われないのです。

この音階は日本人にとって懐かしい気持ちにさせます。日本民謡に使われる「陽旋法」という音階が「ヨナぬき」だからです。

ただ、「ヨナぬき」の長調は根音がド(曲の最後がドでおわる。)であるのに対して、

民謡の陽旋法ではレやラで終わります。(「こきりこ節」などがそうです。)

この2曲(「みやこわすれ」と「はっか草」)は音階の特徴だけでなく、リズムも共通しています。

(♪♪/♩♪♪♩♪♪/ タタ/タータタタータタ/というリズム。)

私は「みやこわすれ」の曲を聞いて、昔、渚ゆう子が歌った「京都慕情」という歌を思い出しました。

(「あの人の姿 なつかしい たそがれの河原町 ・・・ 夕焼けの高瀬川」という歌謡曲。)

(どちらも「ヨナぬき」でできていて、リズムも共通しています。)

「はっか草」からは、美空ひばりが歌った「川の流れのように」を思い出しました。

(途中までヨナぬきです。リズムも共通しています。)

もっと昔、テレビドラマ「幌馬車隊」のテーマ曲(「遥かなる荒野のその果てに 今日もとどろく わだちの音・・・」という歌詞)

をオルガンの黒鍵だけで弾いたことも思い出しました。この曲も同じようなリズムでできています。

(中間部の「隊長アダムスの指揮のもと・・・」のところはヨナぬきでなくなるので白鍵が出てくる。)

ヨナぬき音階の曲は嬰へ長調にすると黒鍵だけで弾けるのです。

 「みやこわすれ」を歌って、懐かしい気分が作り出せたらと思います。

                                      (2021.11.3)

コラム「ビートルズ世代」

 今日の朝日歌壇にこんな歌が載っていました。

・ビートルズ世代の友また一人逝きてイエスタデイでゆるり送る夕   (西尾市)丸山富久治

私もビートルズ世代に入るのではないかと思います。

ビートルズの「イエスタデイ」は私が高校生のころ、高校の合唱部で私が合唱にアレンジして歌ったことがあります。

そのとき、ソプラノのソロ(メロディーではなくオブリガートですが)を歌った子(といっても今は71歳のおばあさんですが)が、

今年11月3日に亡くなったという知らせが一昨日(11月5日)にありました。

高校を卒業してから一度も会っていないのですが、当時の顔がはっきり浮びます。この短歌がよけい身に染みてきます。

 岡崎市民合唱団では、第28回演奏会(2010年)の「Around GS」というステージで、

ビートルズの「ミッシェル」を、歌ったことがあります(「さよならをするために」のなかに紛れ込ませて)。

ビートルズは、その豊かな音楽性が魅力で、現在でも多くの年代の人々に歌われていますが、

とりわけ私たちの世代に大きな影響を及ぼしていると思います。

                                   (2021.11.7)

コラム「指揮法のレッスン」

 私が指揮法を本格的に学んだのは、月1回蒲郡で行われていた指揮法のグループレッスンに、

1979年から81年にかけて通ったのがはじめです。

講師は、当時東京芸大の指揮科の主任であった遠藤雅古(まさひさ)氏でした。

遠藤氏は山田一雄氏に指揮法を学んで、山田氏の後任として、斎藤秀雄氏のシステムに基づく正統的な指揮法を教えていました。

そのグループレッスンでは、指揮法の基本を、図形から、たたき、平均運動、しゃくい、先入など、

いろいろなテクニックをまじえて、直接指導していただきました。

レッスンではピアニスト(たぶん東京芸大の学生)が指揮に合わせて演奏してくれるのですが、

棒の動きの少しの違いに敏感に反応して演奏を変えてくれるので、すごいものだと思いました。

レッスンの中で、時には、一人一人が、中学生のオーケストラでベートーヴェンの「運命」の第1楽章を振って、

問題点の指摘を受けたりしたこともありました。

このレッスンを通して、それまでの自己流の指揮から理論的に根拠のある振り方を心がけるようになりました。

何事も基本が大事だと痛感しました。

                                     (2021.11.11)

コラム「金木犀」

 今日の朝日歌壇にこんな歌が載っていました。

・誰もいない金木犀の並木道マスクを外して吸い込む自由     (奈良市)山添聖子

山添聖子さんは朝日歌壇常連の山添葵・そうすけ姉弟のお母さんです。聖子さん自身も以前からの常連です。

今日の朝日歌壇にも山添葵さんの

・弟は最初にグーを出すんだよだいたいパーを出すと勝てます   (奈良市)山添葵

という歌が載っています。これは、10月3日付に載った、

・じゃんけんできめるのぼくはきらいですだいたいお姉ちゃんがかつから   (奈良市)やまぞえそうすけ

という歌への返歌になっています。作戦の手の内を明かしてしまったら次から勝てなくなるかもしれないのに…。

 金木犀は秋にオレンジ色の小さな花をたくさんつけて、強いいい香りがするので、

遠くにあっても金木犀が咲いているとわかります。

かつての同僚で毎日学級通信を出していた先生が、毎年、はじめて金木犀の匂いに気がつくと.

「キンモクセイ記念日」として学級通信に書いていました。

10月の上旬であることが多かったと思います。

金木犀は小さいながらも、花はたくさん見つけられますが、実がついているのは見かけません。

これはどうも、金木犀は雌雄異株で、日本には園芸種の雄株しかないからのようです。

中国には雌株もあるので実がついているのが見られるそうです。

 合唱曲では、湯山昭作曲の「木犀のセレナーデ」が有名です。

1985年の全日本合唱コンクールの選択曲になって、合唱部を指揮して演奏したことがあります。

ロマンティックで、いかにも湯山昭らしい、とてもいい曲です。

 わが家でもまだ金木犀の花が香りをとどめています。

コロナ禍の中、人前ではマスクがはずしにくいですが、周りにだれもいないときは、

マスクをとって、金木犀の香りを楽しみたいものです。

                                    (2021.11.14)

コラム「湯山昭氏」

 前回記載した湯山昭氏に私は会ったことがあります。中部合唱連盟の合唱講習会に講師として講習していただきました。

たぶん名古屋と岐阜県の高山の2回来ていただいたと思います。そのうちのどちらかで(名古屋だったような気がしますが)、

夜の懇親会のとき、個人的に会話をしたことがあります。かなりエネルギッシュな方でした。

会を盛り上げるのも上手で、「拍手のクレシェンド」といって、両手の指1本ずつの拍手(3・3・7拍子)から、

指を1本ずつ増やして最後は両手で大きな手拍子にして、会場のみんなを大拍手に巻き込んでいました。

合唱センターの講習会でも、講習を受けたことがあります。アゴーギク(テンポの揺らし)の話を熱心にされていた記憶があります。

 湯山氏の合唱曲は、高校の合唱部を指揮していたとき女声合唱を何曲か指揮しました。コンクールで演奏したのは、

・「愛すること」より「こないで」(1977)

・「葡萄の歌」より「葡萄の歌」(1979)

・「葡萄の歌」より「宝石」(1983)

それと、前回書いた

・「木犀のセレナーデ」(1985)

です。

 湯山氏は、童謡の作曲家としても有名で、テレビの子供番組でよく歌われる、

「山のワルツ」、「あめふりくまのこ」、「おはながわらった」、「おはなしゆびさん」

などの曲がよく知られています。

 岡崎市民合唱団では、わんぱくフェスタ2009のとき、「4つのお菓子の歌」(私が構成・編曲したもの)の中で、

・「バウムクーヘン」

を演奏しました。

                                        (2021.11.17)

コラム「池辺晋一郎氏」

 中部合唱連盟の合唱講習会では、池辺晋一郎氏ともお話しする機会がありました。

それは1986年の新湊(現在の射水市)で行われた合唱講習会のときで、

夜の懇親会で、ビールを飲みながら親しくお話ししました。

1984年に、私は、高校の合唱部で、池辺氏の作曲した

・組曲「花の四季」より「自然のうた」と「汗」をコンクールで指揮したばかりだったので、

その曲や、そのほかのいろいろな合唱曲の話をした後、

当時、「NHKみんなのうた」で放送されていた「まるで世界」という歌の話になりました。

当時4歳だった私の長男がこの歌をとても気に入っていて、その話をすると、池辺氏は、

「別役実氏のあの詞はほんとに不思議な詞ですよね。」とニコニコしながら楽しそうに言いました。

 岡崎市民合唱団では、わんぱくフェスタ2010で、「ふしぎな世界」というステージの中で、この

・「まるで世界」を、私の編曲で歌いました。

また、第9回演奏会(1987)で、

・「六つの子守歌」を歌いました。

池辺氏はN響アワーの司会などで軽妙な語り(とダジャレ)で親しまれていて、

現在、朝日新聞の文化欄に、彼の生い立ちや業績をたどったインタビュー・コラム

「語る~人生の贈り物」(吉田純子編集委員)が連載されています。

                                  (2021.11.19)

コラム「校歌・市歌」

 今日の朝日歌壇にこんな歌が載っていました。

・相集ひ歌ふことなきこの一年 生徒はいまだ校歌覚えず     (佐賀県)広沢益次郎

多くの学校で、新入生たちに、学校に早くなじませるため、校歌を覚えさせるという指導が取られてきましたが、

新型コロナのせいで、密集を避けるため、生徒が集まって校歌を覚える機会がなくなってしまいました。

 自分自身について振り返ってみると、小学校の校歌は覚えた記憶がありませんが、

中学、高校の校歌はかなり時間をとって覚えさせられた気がします。

私の中学時代の校歌は、1番・3番と2番でメロディーが異なるという、やや特殊なものでした。

2番の歌詞は「緑濃き 山の気澄みて 南(みんなみ)に 城なるかなり・・・」という、文語調のものでしたが、

悪童たちは「山のキス見て みんな見に・・・」と妄想を膨らませて歌っていました。

(これは、歌詞が五七調なのに、曲が七五調でつけられていたせいもあります。)

高校時代の校歌は、山田耕筰作曲の格調の高いものでした。

詩を書かれた阿部知二氏は、「校歌」とせずに、「友にあたう」とされました。

岡崎市の市歌も、山田耕筰作曲の格調高いものです。作詞は北原白秋です。

(私の出身高校の前身の旧制中学の校歌が、やはり山田耕筰作曲、北原白秋作詞でした)

岡崎市民合唱団は、コラム⑬で書いたように、設立以来毎年、1月1日の新年交礼会と、7月1日の市制記念日に、

岡崎市からの依頼で、ステージの上から会場の皆さんとともに歌ってきました。

コロナ禍で、密集を避けるため、市民会館などの会場に多くの市民が集まって歌うことがなくなっています。

早く収まって、市民の皆さんと一緒に市歌を歌える日が来るといいと思います。

                                    (2021.11.21)

コラム「青島広志氏」

 私が親しくお話しした作曲家にもう一人、青島広志氏がいます。

 1987年の全国総合文化祭は愛知県で開催されました。

このとき、青島広志氏と、京都エコーの指揮者の浅井敬壱氏をゲストとして迎えました。

青島氏はテレビの音楽番組によく出演し、独特の視点からユニークなおしゃべりで親しまれていて、

Eテレの小学生向けの教育番組にもレギュラー出演していました。

全国総合文化祭でもサービス精神旺盛で、愛知県の高校の合同合唱のときステージ上で駆け回り、

ピアノ伴奏に即興で高音部を弾いたりして会場(名古屋市民会館)全体がとても盛り上がりました。

ステージが終わった後、反省会(いわゆる打ち上げ)で講師を囲んで懇談しました。

私は愛知県高等学校文化連盟の合唱専門部の役員をしていたので、会に参加し、親しくお話をしました。

青島氏は、とても陽気なお酒で、テレビやステージ上と変わりなく、楽しくおしゃべりされました。

音楽は楽しんでなんぼというのがモットーのようでした。

 青島広志氏の合唱曲は「マザーグースの歌」(混声版と女声版がある)が有名ですが、そのほかに、

1985年のNHKコンクールの課題曲「青春のノートブック」も作曲しています。

この曲は、カズー(いわゆるブーブー笛)を取り入れていて、合唱曲としては変わった曲でした、

ちなみに、この年は課題曲が選択方式で、私は「青春のノートブック」を選ばずに、

以前コラムで取り上げた、小林秀雄作曲の「落葉松」の短縮バージョンを選択して高校の合唱部を指揮しました。

 岡崎市民合唱団では、第23回演奏会(2003年)で、青島広志編曲の合唱曲集「戻ってきた歌」

(雨降りお月、十五夜お月さん、この道、からたちの花、黄金虫、証城寺の狸囃子、風、ゆりかごの歌、森の水車)

を演奏しました。なかなか楽しいアレンジでした。

                                    (2021.11.26)

コラム「ブレス」

 今週の朝日俳壇にこんな俳句が載っていました。

・朗読のブレス微(かす)かや一葉忌

一葉忌は小説家の樋口一葉の命日で、11月23日です。

一葉の小説を朗読しているとき、ブレス(息継ぎ)がごく浅いということでしょうか。

朗読を自分がしているのか、だれかが朗読をしているのを聞いているのかわかりませんが、

その微妙な息遣いに、一葉の小説の味わいを感じるように思えます。

 声楽(歌)や管楽器の演奏でブレス(息継ぎ)は重要です。

ブレスが浅いとフレーズが切れ切れになって、音楽的なつながりが損なわれます。

また、声楽で緊迫した表情を出すためにブレスの音を入れるという特殊な表現もあります。

さらに、指揮者が、入りを示すためにブレスの音を出すというテクニックもあります。

私が指揮法を習った遠藤雅古氏は「あまりお勧めできない」と言われましたが、彼自身もそのテクニックを使っていました。

 岡崎市民合唱団の第33回演奏会(2016)のアンコールで、モーツァルト「アイネクライネナハトムジーク」の

第2楽章のメロディーに私が歌詞をつけた「わがセレナーデ」という曲を演奏したのですが、

その中間部でテノールのソロが12小節ノンブレスで歌う部分がありました。

よく続くものだと、自分で編曲しておきながら感心したものです。皮膚呼吸でもしたのでしょうか。

ちなみに、このとき歌ったテノールのソロは現在の常任指揮者の大久保亮氏です。

                                    (2021.12.1)

コラム「朝」

 今週の朝日俳壇にこんな俳句が載っていました。

・片側へ朝の来てゐる胡桃(くるみ)かな

窓際の机に胡桃の実が置いてあって、ふと気がつくと胡桃の実の窓側に朝日がさしている。

いつの間にか朝になっていたのだ。という場面を想像しました。

(胡桃の実ではなく、胡桃の木だったら全く別の場面になります。)

岡崎市民合唱団で歌った朝の歌というと、第31回演奏会(2014年)で演奏した「朝昼晩のうた」というステージで歌った曲を思い出します。

・バークス 「夜明けまで(Until The Dawn)」(男声合唱)(私が訳詞をしたもの)

・中田喜直 「青空の小径」(女声合唱)(「朝がそっと青空に立てかけた黄金のハープ」で歌い始める)

・佐藤眞  「蔵王」より「早春」(「朝のひかり 山に満ち 雲は明るく浮かびたる」で歌い始める)

さらに、第34回演奏会(2018年)では、私の構成・編曲した「朝昼晩のうたⅡ」という曲集から

⑥いずみたく「夜明けのうた」(岸洋子が歌ってヒットした)

を歌いました。この曲集は実は

①都倉俊一「虹の架け橋」(浅田美代子が「寺内貫太郎一家」の中で歌った。「さわやかな朝をあなたにもあげたい」で歌い始める)

②忌野清志郎「パパのうた」(「昼間のパパは・・・」)

③荒井由実「海を見ていた午後」

④中村八大「黄昏のビギン」

⑤弾厚作(加山雄三)「君といつまでも」

と合わせて6曲からなるものでしたが、演奏会では都合により、③④⑥のみ演奏しました。

                                      (2021.12.8)

コラム「こがらし」

 今日の朝日俳壇にこんな俳句が載っていました。

・凪(なぎ)もあり凩(こがらし)もあり八十路ゆく      (鎌ヶ谷市)中岡淳一

作者は八十歳となり、人生の終盤を迎え、いろいろと考えるところがあるようです。

ほっとくつろげる時もあれば、厳しい悲哀を感じる時もあります。

それでも前向きに生きていこうという姿勢が「ゆく」という言葉に表れています。

私はあと10年ほどでそういう心境になるのでしょうか。

 「こがらし」の合唱曲で思い出すのは、自分が中学の合唱部のとき、NHKコンクールで自由曲として歌った曲です。

曲名も作曲者も覚えていないのですが、歌い出しは「こがらしは 空の魚群をせきたてて…」という歌詞でした。

混声3部合唱の男声パートを歌ったわけですが、「こがらしは」という歌詞が何度も出てきた記憶があります。

 課題曲は山内忠作曲の「種と泉」という曲でした。歌い出しは「丘の畑のトラクター…」という歌詞でした。

そして、2番の歌い出しが「森の泉にいこうとき…」という歌詞でした。

これを指導の先生は「…いこーとき…」と歌うように指導されました。

楽譜の下に「IKOU」と歌うよう指示があったので、先生に言ったのですが、先生は、

「「いこう」と書いて「いこー」と読むのよ。」と取り合ってくれませんでした。

コンクール当日になって、ほかの中学が本番前の練習で「いこう」と歌っているのを聞いて、

先生は急遽、「いこう」と歌うように指示されました。

このとき一緒に歌った仲間に、「イエスタデイ」でソプラノソロを歌った生徒(コラム㉙「ビートルズ世代」で書いた)もいました。

懐かしい中学時代の合唱の思い出です。

                                 (2021.12.12)

コラム「コダーイ」

 今日、12月16日はコダーイ・ゾルタンの誕生日です。

マジャール語(ハンガリー語)では日本語と同じように姓が先、名前が後なので、コダーイが姓でゾルタンが名前です。

コダーイは1882年生まれなので、今日で生誕139年ということになります。

39年前の1982年が生誕100周年の記念の年で、この年、名古屋でコダーイ協会の主催のサマースクールが開かれました。

会場は愛知県立大学(長久手市に移転する前の名古屋市瑞穂区の校舎、現在の名古屋経済大学高蔵高校)で、5日間行われました。

私もこのサマースクールの合唱指揮者コースに参加しました。講師はアラニ・ヤーノシュというハンガリーの新進指揮者でした。

(ハンガリー人なので、アラニが姓、ヤーノシュが名前。)

ソルフェージュでは、ソルミゼーションというコダーイシステム独特の階名唱を軸に進められました。

このシステムでは、階名唱は「固定ド」ではなく、「移動ド」で行われます。

「ファの♯」を「fi 」、「シ」は「ti」、「シの♭」を「ta」と歌います。理にかなった方法だと思います。

指揮法では、姿勢(脱力、手の位置など)、図形、「入り」と「終結」の指示などを詳しく説明され、みっちり実習しました。

とりわけ「入り」の指示はていねいにすることを学びました。私は今もこれを合唱指揮の基本の一つとしています。

岡崎市民合唱団で歌ったコダーイの曲は、第29回演奏会(2012)で、

・女声合唱「ジプシーがチーズをかじる」

だけですが、大学の合唱団では

・「マトラの風景」

を歌いました。また、この曲はマインクライネルコールという合唱団で私が指揮して演奏しました。

また、学生時代の大学祭の記念演奏会では、有志で参加し、

・「ミサ・ブレヴィス」

を歌いました。

高校の合唱部を指導していたときは

・「山の夜」

を指揮しました。

コダーイの合唱曲は、難解でなく親しみやすく、独特の味わいがあり、奥深い面白さがあります。

機会があればまた演奏してみたいと思います。

                                           (2021.12.16)

コラム「花八ツ手」

 今日の朝日俳壇にこんな俳句が載っていました。

・玄関のわからぬ家や八手花       (市川市)をがはまなぶ

八手(ヤツデ)は低木で、庭木としてよく植えられている木です。

冬の初めに、白い小さな花が球状に集まったものが咲きます。

訪ねて行った家の庭に八つ手の白い花が咲いている。

庭先から上がるわけにもいかず、さて玄関はどこだろう。そんな家が想像されます。

 八手の花を歌った合唱曲といえば、大中恩の「花八ツ手」があります。

小品を集めた混声合唱曲集「花八ツ手」の第1曲が「花八ツ手」です。

無伴奏の混声四部合唱の小さな曲ですが、面白い構造が見られます。

「冬がはにかみながら 八ツ手に白い玉かんざしを贈った」と歌うのですが、

メロディーは簡単なのに、各パートの調性がそれぞれ違うのです。

ソプラノはホ短調で、移動ドでいうと「ラドシ ラドドドドシシ」と歌い、

アルトとバスはハ短調で、移動ドでいうと「ラドシ ラドドドドシシ」と歌い、

テノールはト短調で、移動ドでいうと「ラドシ ラドドドドシシ」と歌うのです。

冒頭の6小節と、後半部分の10小節は、長三和音がハモったまま平行に移動してゆくという不思議な構造を持つ曲です。

 大中恩の合唱曲は親しみやすい曲が多く、多くの合唱団で歌われてきました。

岡崎市民合唱団でも、第1回演奏家(1979年)で

・「風のいざない」

第3回演奏会(1981年)では、

・「大中恩混声合唱曲集」(「休日・湖」「水のこころ」「白い花束」「海」「海の若者」「秋の女よ」)

第5回演奏会(1983年)では

・「飛んでゆきましょう」

第8回演奏会(1986年)では、

・「大中恩合唱曲集」

第19回演奏会(1998年)では、

・「遥かなものを」

第25回演奏会(2006年)では『若き日の若き夢』(NHKコンクール課題曲集)というステージの中で、

・「旅に出よう」

第28回演奏会(2010年)では、

・「島よ」

と、繰り返し取り上げてきました。

また、私は大学の合唱団で大中恩の「煉瓦色の街」を歌ったのですが、

そのときの練習で大中氏に直接指導していただいたことがあります。(練習会場は名古屋の大幸幼稚園でした。)

「それから太鼓が鳴り出すさ」の部分を、「この部分はたて揺れですね」と言って、体を揺らしながら歌うなど、

身振りをまじえて、大変ユーモラスに指導していただきました。

大中氏は3年前(2018年)の12月に亡くなりました。

岡崎市民合唱団ではその直後の練習で、彼の童謡

・「サッちゃん」

を合唱して冥福を祈りました。

                                  (2021.12.19)

コラム「クリスマスキャロル」

 今夜はクリスマスイブ。いろいろなところからクリスマスソングが聞こえてきます。

岡崎市民合唱団でも、今週の練習日(12月21日)は、クリスマス週間ということで、

・「きよしこの夜」(グルーバー)と

・「もろびとこぞりて」(ヘンデル)

を混声四部合唱で歌いました。これらの曲は定番のクリスマスソングです。

クリスマスソングのうち古くから歌われてきたものは「クリスマスキャロル」と呼ばれます。上の2曲の他には、

・「あめにはさかえ」(メンデルスゾーン)、

・「牧人ひつじを」(イギリスのキャロル)、

・「あらののはてに」(フランスのキャロル)

・「神のみ子はこよいしも」(ウェード)

・「ああベツレヘムよ」(ルイス・レドナ)

・「さやかに星はきらめき」(アダン)

・「ひいらぎ飾ろう」(ウェールズのキャロル)

・「もみの木」(ドイツのキャロル)

などがよく歌われます。このうち、「さやかに星はきらめき」は、「O Holy Night」ともいって、

私の元の勤務先の高校で、毎年、クリスマス行事のとき、舞台と客席が一体となって合唱する曲です。

このクリスマス行事(クリスマス・ページェント(英語の発音はパジェント))には、

私は制作の段階からかかわったこともあり、特に思い入れがあります。

毎年、岡崎市民会館で満員のお客さんを迎えて上演され、その中でお客さんとともに歌ってきたのですが、

今年はコロナ禍のため、一般のお客さんは入れず、Webで配信されるようです。

早くコロナが収まって、合唱を含む舞台芸術が、多くのお客さんとともに上演されるようになってほしいものです。

                                (2021.12.24)

コラム「翼をください」

 今日の朝日俳壇にこんな俳句が載っていました。

・翼ある者の自在や天高し          (四万十市)佐山 遼

秋の澄み渡る青空を鳥が飛んでいる。鳥は(トンビか鴨などの渡り鳥か書いていないが)

あんなに高くまで、なんと自由自在に飛んでいることだろう。

 「翼」のつく合唱曲といえば、現在岡崎市民合唱団で練習中の、横山潤子編曲集「時代」の中の

・「翼をください」(村井邦彦)

が浮かびます。この曲はもともと赤い鳥というフォークグループが歌ってヒットしたフォークソングですが、

多くの歌手やグループによってカバーされて歌われてきました。

また、橋本祥路によって合唱曲に編曲され、中学の教科書に載ったことから、多くの中学生に歌われ、親しまれてきました。

当時(1970年代半ば)はポピュラーソングを教科書に載せることに賛否両論ありました。

しかし、子どもたちが音楽を好きになるきっかけとして多くの支持を得て定着し、現在では多くのポピュラーソングが教科書に載るようになりました。

「いま富とか名誉ならばいらないけど…」の部分がカットされているバージョンもあるようですが、

お金や「いいね」の数ばかり欲しがる風潮の世の中にあって、このフレーズは省かずに歌いたいものです。

                                            (2021.12.26)

コラム「寅年」

 2022年が始まりました。明けましておめでとうございます。

今年は寅年。寅・虎に関係ある合唱曲を思い浮かべてみました。ひとつは、

・男声合唱組曲「この地上」の第1曲「虎」(高田三郎作曲)

です。ピアノ伴奏付きの男声合唱で、堂々たる「高田節」で歌い上げます。

1999年の全日本合唱コンクールの男声の課題曲となり、多くの男声合唱団で歌われました。

(混声版も女声合唱版もあります。)

もう1曲は

・混声合唱組曲「鬼の子のうた」の第3曲「ふんどし」(大中恩作曲)

です。その歌い始めの歌詞は「虎の皮のふんどしはおふくろがくれた」です。

歌詞の始まる前に男声が「ふん」(バス)「どし」(テノール)と伴奏のように歌うのですが、

「ふん」はハミングのように、「どし」は階名の「ドシ」になっている、しゃれのような曲です。

この曲を初演したのは「コールMeg」で、大中恩氏が結成して大中恩作品ばかりを演奏する合唱団です。

大中氏がコールMegの若い女声に「ふんどし」という歌詞を歌わせるのは悪趣味だと非難を受けたというエピソードがあります。

私がこの曲を初めて聞いたのは、コールMegの演奏ではなく、広島大学合唱団の演奏(のテープ)です。

私は大学時代に個人的に広島まで出かけて、広島大学合唱団と交流を持ちました。

広島大学合唱団の演奏会のテープと自分の合唱団のものを交換して、お互いに聞き合ったものです。

 寅年の「寅」という字は演奏の「演」からきていて、「人前に立つ」「成長する」という意味を持つそうです。

岡崎市民合唱団としても、多くの聴衆の前でしっかりした演奏ができるように成長していく年にしたいものです。

                                            (2022.1.4)

コラム「スイミー」

 今日の朝日歌壇に次の短歌が載っていました。

・スイミーのけしゴムはんこを作ったよ あのねちょうにもいっぱいおしたよ   (奈良市)山添聡介

朝日歌壇の常連・山添姉弟の弟・そうすけくんが漢字でデビューです。(姉の葵さんの歌も同じ紙面に掲載されています。)

そうすけの聡は藤井聡太竜王の聡と同じ字だったんですね。

「あのねちょう」は、「先生あのね」で始まる文章を先生に毎日出す日記帳のようなものでしょうか。

「スイミー」の消しゴムはんこを作って、それが気に入ったので、そのノートにも押したのでしょう。

「スイミー」はレオ・レオニの絵本「スイミー」の主人公の魚です。

(レオ・レオニは「ねずみのものがたり」で岡崎市民合唱団ともかかわりのあった絵本作家です。

昨年9月のコラム「シアターピース」、「著作権・上演権」で触れました。)

赤い魚たちの中で、一人だけ黒い魚のスイミーが、仲間外れにされて嫌になっていたのが、

その違いを生かすときが来るという話です。(「赤鼻のトナカイ」と似たストーリーです。)

それを生かすチャンスがあってもなくても、個性・多様性は大切にすべきだと思います。

今後、山添聡介君の個性が一層輝くことを願っています。

                           (2022.1.9)

コラム「駅ピアノ」

 今日の朝日歌壇に次の短歌が載っていました。

・駅ピアノ皆それぞれに自信あり遠慮深げにやや得意げに   (川越市)西村健児

NHKBSで駅ピアノや空港ピアノを弾いているのを放送する番組があります。

たぶんそれを見て作られた歌かと思います。

(実際に駅で何人もの人が弾くのを立って聞いている人がないわけではないでしょうけれど。)

見ていると、人前で弾くわけですから、みんなそれぞれ自信があって弾くのだけれど、

多少テレもあって、遠慮気味に弾く人もあり、私はうまいんだぞというように得意げに弾く人もあります。

その様子が目に浮かぶ、うまい短歌だと思います。

ピアノは、置いてある駅や空港は限られているので、どこででも弾けるというわけではありません。

その点、合唱は、歌う人が何人かいればどこででもハモれます。あまり下手だと顰蹙を買いますが。

岡崎市民合唱団も、いろいろなところに出かけて行って、野外でハモったこともあります。

(昨年8月のコラム「親睦旅行」で書きました。)

忘年会の会場でハモって、隣の部屋から盛大な拍手が聞こえてきたこともあります。

ここのところ、世の中の要請で、宴会や団体旅行が控えられていますが、

いろいろなところで自信をもって合唱が楽しめるようになればいいと思います。

                                 (2022.1.16)

コラム「一月一日・まめまき」

 今週の練習(1月18日)では、

・ベートーヴェン「ハ長調ミサ」より「キリエ」

・千原 英喜「みやこわすれ」より「はっか草」

のほかに、その場で配られた楽譜を初見同然で2曲、混声四部合唱で歌いました。

「一月一日」と「まめまき」の2曲です。

・「一月一日」(「いちげついちじつ」または「いちがついちじつ」と読む)は、

上 真行(うえ さねみち)作曲、千家 尊福(せんげ たかとみ)作詞の唱歌です。

「年のはじめのためしとて」の歌詞で、よく知られている唱歌です。

千家 尊福は出雲大社の宮司だった人で、埼玉県、静岡県、東京府の知事を務めた人です。

上 真行は雅楽師の家系の人で雅楽家としてだけでなく、洋楽も学び、唱歌などの作曲も行いました。

・「まめまき」は、

昭和初期に「えほん唱歌」という季刊の唱歌集に掲載された唱歌で、作詞者・作曲者ともに不明です。

「おにはそと ふくはうち ぱらっぱらっぱらっぱらっ まめのおと」の歌詞で親しまれている曲で、

節分の前後に多くの幼稚園・保育園で歌われています。

このような易しい曲を、簡単にハーモニーをつけて歌うことは、合唱を楽しむためにも、

合唱団の実力をつけるためにもいいことだと思います。

                                (2022.1.20)

コラム「みずうみ」

 今日の朝日俳壇にこんな俳句が載っていました。

・とりどりの水鳥に湖晴れてきし    (合志市)坂田美代子

雨が降っていたのか、雪が降っていたのか、それが止んでだんだん晴れてきました。

すると、湖に浮かんでいた水鳥の姿が鮮明に見えてきました。(この句では湖は「うみ」と読みます。)

むしろ、いろいろな種類の水鳥の色がはっきり見えてきたことで、晴れて明るくなったと気づいたのでしょう。

湖の情景と光の量の関係と、作者の心の動きが表れている、いい句だと思います。

水鳥は冬の季語で、水に浮かんでいる鳥、おもにいろいろの種類の鴨やカイツブリなどを指します。

 岡崎の公園の池でもこの時季、北の国から渡ってきた多くの水鳥を目にします。

南公園で最近見かけたのは百羽を超える鴨(マガモ、コガモ、オナガガモ、ヒドリガモなど)、数羽のカイツブリ、オオバンなどです。

白鳥も2羽いますが、これは北から渡ってきたのではなく、ずっと棲みついているものです。

 湖に関係する合唱曲で思い出すのは、

・混声合唱組曲「三つの山の詩」(石井歓作曲)より「ともしび」

です。これは私が高校生の時、NHKコンクールの自由曲として歌ったものです。

無伴奏の混声四部合唱で、「山は緑に暮れて ひかり映す湖」からはじまり、

「だれ知らぬ物語秘めた みずうみ」で終わる幻想的な曲です。

岡崎市民合唱団で歌った曲では、第29回演奏会(2012年)で歌った、

・混声合唱曲集「若き日の歌」(兼松正直作曲)より「湖上」

があります。中原中也の「ポッカリ月が出ましたら 舟を浮かべて出掛けませう・・・」という詩による曲です。

ピアノのアルペジオだけの前奏のあと、ゆっくりした7拍子のテーマによる前半部、4拍子の中間部は頻繁に転調を繰り返し、

後半部は前半部と同じテーマを変奏して終わるという構成です。

湖は詩人や俳人や作曲家に豊かなイマジネーションを引き起こすきっかけとなるものだと思います。

                                           (2022.1.23)

コラム「雪女」

 今日の朝日歌壇にこんな短歌が載っていました。

・あの音は丑三つ時の雪女いいえ亡き子か木枯しのこゑ     (秋田市)沓澤ゆり子

雪まじりの木枯しの音を聞いていると不思議な気持ちになってきます。

恐ろしい雪女が来るときの音ではないか。それとも自分より早く逝ってしまったわが子の気配か。

雪国ならではの幻想的な短歌です。木枯しの音を「こゑ」としたところにも表現の工夫があります。

 雪女といえば、合唱で、雪女を歌った曲を思い出します。

岡崎市民合唱団の第32回演奏会(2015年)で歌った

・佐藤眞作曲「混声合唱のための組曲『蔵王』」より「雪むすめ」

です。この曲は、歌人の尾崎左永子さんの描きおろしの詩に佐藤真が作曲したものです。

この詩は雪女の恐ろしげな雰囲気ではなく、民話風の「雪むすめ」を描いています。

「雪がやめば あおい月夜・・・」で始まる民話的な詩に、シンプルな旋律で民話の世界を作り出します。

ソプラノだけが旋律を歌い、ほかのパートはすべてハミングで、旋律がくっきり浮かび上がる形をとっています。

 雪国の人たちは雪国ならではのかなしみと幻想の世界を持っているようです。

                                    (2022.1.30)

コラム「藁を打つ」

 今週の朝日俳壇にこんな俳句が載っていました。

・藁(わら)仕事いつしか藁の音だけに        (東京都)木幡忠文

「藁仕事」というのは冬の季語で、農家は冬の農閑期に、藁で縄や草鞋(わらじ)や、蓆(むしろ)や叺(かます)などを作ります。

藁を綯(な)ってこれらのものを作るためには藁をたたいて柔らかくする必要があります。

そのトントンと叩く音だけが聞こえるようになったという、冬の静かな夜を思わせます。

正月飾りの注連縄(しめなわ)も藁仕事で作ります。今週の朝日歌壇にもこんな歌がありました。

・注連縄に添えて綯(な)いたる稲の穂を初雀らが啄(ついば)み続く  (西予市)大和田澄男

正月の縁起物の注連縄に、豊作を祈って、穂のついた藁を綯いこむのです。それを雀が啄むのも正月らしい風景です。

文部省唱歌の「冬の夜」の2番にも

「囲炉裏のはたに縄なう父は 過ぎしいくさの手柄を語る」

という歌詞があります。明治45年に出版されているので、「過ぎしいくさ」は日露戦争のことでしょうか。

最近の曲集では「過ぎし昔の思い出語る」となっているようです。

岡崎市民合唱団の第30回演奏会(2013年)では、「(春夏秋冬)2」というステージで、私の編曲でこの曲(「冬の夜」)を歌いました。

 私は昔、「藁を打つ」という詩に曲をつけて無伴奏の男声四部合唱にしたことがあります。

その楽譜や元のスケッチを、この文章を書くために、探したのですが見つかりません。

元の詩も見つからず、詩の作者もわからなくなってしまいました。

私の記憶もだんだん怪しくなってきました。

藁仕事そのものもだんだん少なくなってきています。時代はどんどん便利な方へ流れていくようです。

                                           (2022.2.9)

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